さよーならまたいつか

miumimimi
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寝ても覚めても米津玄師の最新曲のことを考えている。インタビュー記事も合わせて、からだがぽわわんと軽くなった気がする。

この島国ではなかなか女性が住みやすくなろうという方向にはならない。そればかりか住みにくくなる一方だ。外国に住んだら差別されるよと言われるし、もちろんそれは許せないけど、女というだけでこんなにじわじわと削られるのとどちらがいいのだろうと考えてしまう。

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小さい頃習字を習っていたせいか、字を褒められることが多い。謙遜とかではなく自分でうまいとは思ったことはないけれど。字が丁寧だとある種の安心感を与えられるので、重宝はしている。しているけれど。

字を褒められるたび、女だから字は綺麗にしろと言われたことを思い出した。体調が悪くて視界が不鮮明でへろへろの字しかかけないことを思い出した。それで怒られたこともあった。

字が綺麗ねと言ってくれる人は軽い気持ちでコミュニケーションとして話してくれているのだろう。頭ではわかっているけど、ちくりと胸の奥が痛む。難儀だなあと思う。

いいなあ。家柄とか女とかそんな世界に揉まれなくて。そんなめんどくさいけど確かにあった考えがふつふつと自分を覆っていく。

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そんなモヤモヤすることが多くなってピークに達したとき、米津玄師の新曲を聞く機会があった。

昔から好きなアーティストだし、そういう意味では信頼しているのだけど、MVの米津玄師の格好…女性や少女の記号としての三つ編みや赤い服が気になった。

実際MVを見たらそんな軽い気持ちでコスプレしてたわけではもちろんなくて、もっとエネルギーや皮肉や怒りや悲しみといった表現だった。

おかしいことに気づいてしまったときの怒りは凄まじい。その爆発的なエネルギーはかっこよくて、でも悲しくて、そんなことない世界で生きていけたらと視線を晒したくなる。そういう行ったり来たりするような気の遠くなる積み重ねが「夢を叶える」ってことだよなと改めて思う。めんどくさいしやりたくないし、希望は削ぎ落とされるし、やる気もなくなる。それでも重い足を引きずりながら一歩進むことの大切さ。言葉にすると陳腐だけど、彼の言葉は洒落ていて尖っていて優しくて、つまりは痺れるくらいかっこよかった。

寝込んでしまっていたけれど、目の前にブワッと鮮やかな花畑が広がってるような感覚にしてくれた。なんだか魔法みたいね。

さて。少しずつ無理せずに、わたしにできることを一歩ずつ。