先日髪をバッサリ切った。ヘアドネーションというウィッグを作るための髪の寄付のために。肩の上くらいのボブになって、なんだか体がチグハグな気分だ。今までは腰を超す長さになっていたので、髪の毛に気を使わないと生活できなかったのだ。髪の毛をまとめようとして空を手が掠る。ああもういないんだなと寂しさが湧き上がる。
10年ほど前、抗がん剤治療を受けている方に出会って、何かできることはないかと思って出会ったのがヘアドネーションだった。2回ほど挫折しており、今回初めて寄付に至った。献血は体質上できないので、少しでも世の中の役に立ちたかった。
今回髪を伸ばそうと決意したのは、社会復帰できていない自分の願掛けも兼ねていた。何の役にも立てていない自分に焦りと虚しさと罪悪感が募っていた。髪の毛を伸ばすのならばまだできそうだと思い、やってみることにしたのだった。
髪の毛を伸ばすためにヘアケアに力を入れた。最後の方は髪が長すぎてナイトキャップを被らないと横にならないほどだった。生活の中心…とまではいかないが、髪の毛を労わりながら生活をずっとしていた。病気の関係でセルフケアができないことも多かったけど、髪を伸ばすことが現実に引き戻してくれる良い枷になってくれたのだと思う。
櫛で梳かすとき、ドライヤーで乾かすとき。出かけるために髪をセットするとき。鏡の中のわたしを見つめるとき。ただの髪なのだけど、なんとなくセンチメンタルな気分になってしまうのだった。そして同時に生まれ変わったような気持ちでもいて、こういう日常の中の生と死が、日々を動かす車輪のように前に動かしてくれるのだなと思った。