2024/04/04

水口キサ
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06:15起床。しばらく布団の中でウネウネ。身も心もマッチョにしよう(体はだらしなくない程度に)と昨日思い立ち、今日から体を動かすことにした。ということで走りに。

フルマラソン後3回目くらいのランニング。前回からもかなり期間が空いており、4km地点でお腹が痛くなってリタイア。そこから歩きながら帰った。情けない。

歩いている最中、ファッションについて考えていた。この前Twitterで「運ん読」が紹介されており、引リツに「文学もとうとうファッションになったか」みたいなことを書いている人がいた。なんとなくそういうことを書いている人いるだろうなーと思っていたけど、ほんとにいて少し嬉しかった。で、「ファッション」とはなんぞやと。「文学ってそもそもファッションじゃね?心の。」と思った。調べたら、「ファッション」とは、「主に身につけるものの流行」らしい。この「流行」の部分をとれていなかった。自分もこの人も。てか英語的に考えたらそうか。別にこの人の発言の揚げ足取ろうとかじゃなくて(この人の文読んだ時に違和感なかったし)、なんとなく「ファッション」ってただ「装飾」みたいな意味でとっていた。と思う、この人も。だからこそ「文学は心のファッション」とか思ってたし、「文学がファッションになった」とか発言があった。「文学」が「流行」になることって基本的にないと思っている。から、「本という物質がファッションになり得る」というのが今回の「運ん読」に対しての反応として正しいのではないかなとか。(正直ブックカバーも付けず裸で本読んでる人ってあんま近寄りたくないよね。)

じゃあ、文学とか映画とかはファッションではなく、なんて表現したらいいのか。持ち物?装飾?あ、「アクセサリー」か。「カルチャーは心のアクセサリーだ。」と、結論づけた。(知識も含まれるかここに。)こういうものを欲している人は心が寂しいから何かで装飾しなくちゃいけなくて。必要ない人からしたら本当に必要ないんだろうなとも思う。でも話してて面白い人って大体「心のアクセサリー」がたくさんついている人で、少ない人は大体面白くない傾向にある。人一倍面白い(と自分が思っている)人って、多分人一倍寂しい人なんじゃないかなとかも考えた。どうなんだろ。

あと歩いてる最中高校生が登校していた。もうそんな時期か。

帰宅後即風呂。ほんで「キング・オブ・コメディ」を観た。面白かった。スコセッシ×デニーロだったのに暴力がなかった。ざんねん、、、。まぁ面白かったのでよし。確かにジョーカーを感じた。デニーロの狂気たまらんち。

呪術とチェンソーの新刊届いたから読んで、溜まってたジャンプも消化。毎度あかね噺面白過ぎる。ツーオンアイスとかグリーングリーン面白いのに順位低い。悲しいね。単行本買うかって言われたら買わないし、ハガキも出さないけど。(これ多分面白いって言う権利ないかも。)

その後テレビの録画消化。

ダラダラの一日。

「大丈夫」何がそうなのか知らないが自分に言い聞かせる毎日