クリスマス礼拝に限らないのだけれど
2000年前、イエス=キリストが人間として生まれて十字架にかかって死んだことを「信じて」いる人が、これほどの長きにわたってたくさんいる、ということに、礼拝のたびに驚いてしまう。
イエス=キリスト が実在したか否かという二者択一は、あまり意味を持たないのだろう。
信じるか信じないかは、教えに従うか従わないかの二者択一を迫っているのであり、この教えが、たまたまそれが「イエス=キリスト」というタイトルをもっていたのだろう。「維摩経」や「観音経」と同じように「イエス=キリスト経」なんだろうと思う。
そう考えれば、イエス=キリストを信じることに別段違和感は感じない。それが人名だと思うから、不思議なのだろう。