11月に家族の入院が決まり、家を切り盛りしている。病状は安定。環境適応も上手いので、すでに病棟ではスタッフや患者と仲良くやっているようだ。
こちらはと言うと、玄関や部屋の掃除にゴミ出し、毎日の食事にとやってはいたものの、範囲が広まると週末の内一日は取られてしまう。ただそう言った作業などは嫌いではないので、洗剤を変えてみたり、道具を一新するなどしまずまず楽しく熟している。集中して何かをしている時こそ、脳が無になってスッキリするのだ。
意外とお正月を1人で過ごすことが初めてだったので色々と悩んだ。「暇しないためには」と。早めに図書館に読みたい本を予約して、年末年始のテレビ番組の録画予約をした。しかし心配ご無用。ちゃんと毎年やっている、お飾りや年越しそば、雑煮つくりの準備などしていたらあっという間に年が明けていたような…。
元旦は映画と決めていて、ここ3年はコロナの仕事で行けなかったのだが、今年から再開。「PERFECT DAYS 」を鑑賞。なんとも言えない無意識の悲しさのような感覚が、私としては苦しかった。ロードムービーは「ふーん、なるほど…」(汗)なタイプで、理解しきれなかった自分がちょっと悔しくなり調べた。監督はえらく有名らしいなど。あまりネットの評判がとってつけたように美しかったので「ベネチア映画祭効果なのか?」とやや懐疑的にもなり、映画通の友人に話しを聞いたり、いろんな映画評を読んだが、ピンと来ずでまぁいっか。と思っていたところ、入院先で母が「文藝春秋」を読んでいて役所広司さんのインタビューを見せてくれたので読んだ。するとあまり深い意味合いというより、東京の綺麗なトイレを掃除する壮年期の男性を撮りたいと依頼があったそうだと書いてあった。なるほど…でもあの掃除の手捌きはまるで本職さんみたいだったな。だから余計に日常が、日常に映ったのか。と納得した。かなり日が経ってから社会的処方の川崎市の西先生の「平山さんの暮らしが美しく描かれているが、私にはできない。見る人に出来るか試されているような気持ちになった」とXでのポストを読み、自分もこの苦しさはこの生活を美しく思えるかだったのかと気付かされた。
さて、ほぼ毎日病院に通ったため正月は病院のある大都市で過ごすことになった。かるくお茶をしたり、足りないものを買ったりするにもお祭りみたいな街並みだったのでおかげでさみしくもなく、あっと言う前にに仕事始めを迎えた。多分これからはひとりですごすお正月が増えていくだろうから、筑前煮(我が家直伝)の作り方くらいはちゃんと教えて貰おうと思う。