昨今のAIエージェントはわりと懐疑的だったけど、最近会社で使えるようになってからはめちゃくちゃ肯定的に受け入れてる
特に自分にとって何が良いかというと、いくらでもダメ出しできるというところだと思う
単にAIが思い通りに実装しなくてダメ出しするのもあるけど、AIの意見や実装から自分の考えを改めてやり直させるというのもある。とにかく気が済むまでリテイクができる
これは従来の人間同士の開発ではなかなかコストが高い。特にPRのレビューなんかだと「こうしたほうがいい」「やっぱああしたほうがいい」「根本的にアプローチ変えたほうがいい」みたいなやり取りを繰り返してしまうとしんどさがある
そもそもPRだと既に実装まで済んでしまっているのでその時点からのレビューというのが難しい。それよりは実装前の相談によって課題に対する対処方針と、実装の方式を考えるまでが本当にレビューしたいところなんじゃないかと感じる
そのためにissuesやdiscussionsなどもあるけど、具体的にどう実装するかという話まではあまりないんじゃないだろうか
ペアプロが良いなと思うのはまさにそこのところで、相談しながら課題に取り組むことでこうした計画と実装についてリアルタイムに舵取りが行える
ただペアプロはお互いの時間を拘束するし非常に疲れる。成果や質は明らかに出るものの、コストや体力消費が激しくあまり継続的には行えなかった
一方AIエージェントでは、clineのplanモードなどで実装前に計画を相談することができるし、実装が行われた後でも好きなだけダメ出しできる
これが人間相手だと相談コスト、実装コストの高さゆえになかなかできなかった。相手のコストを無視して修正を要求するのは「空気が読めない」し、コストを考えて同調するのは「妥協」になってしまう
リモートワークになる前なら対面なので考えが伝わりやすいしフィードバックも即時でやりやすかったところはある。オフィス回帰が謳われてるのもそうしたメリットを活かしたいという点は分かる
ただそうした求めていた対話的開発が、AIエージェントによって対面の人間以上に便利になってきたように感じる
黒澤明の「羅生門」「生きる」「七人の侍」など代表作を手掛けた脚本家である橋本忍は、その自伝「複眼の映像」において3人体制で脚本作りするエピソードを紹介していた
その内容は、まず橋本忍が単独で第一稿を書き、それを元に黒澤明が第二稿を書き、当時「日本一脚本料が高い脚本家」として知られた小国英雄は手を動かさずレビューのみに徹するという体制。これが名作を生み出した秘訣だと言っていた
これは漫画「これ描いて死ね」における安海(原作)、藤森(作画)、赤福(読者・編集)による3人体制もほぼ似たようなものだと思う
逆に橋本忍が批判していたのはその後の黒澤作品で行われた複数作家が一斉にアイデア出しする合議制での脚本作りだった
漫画「バクマン」の終盤に出てくるネット集合知的な作品作りも同様に感じる
で、まあ自分的には前者は古き良き職人的モノづくり、後者は現代的な効率的モノづくりと捉えていて、前者のほうがロマンあるけど現実的には後者だよねという感じがしていた
ただこれは結局コストの問題なのではないか? ということを最近思うようになった
チーム組織において、なぜダメ出しをするのは良くないのか? なぜ空気を読まないのは良くないのか? なぜ円滑な方が肯定されるのか
そりゃもちろん人間として自分がやられたら嫌だけど、これをコストの問題と見なすとまたちょっと違ってくるんじゃないだろうか
意見を否定されること自体はつらいけど、それは修正コストが大きな要因になっているのではないか
たとえばリファクタはやるべきでないとよく言われるのもコストの問題と捉えることができる
ビジネス的価値を(即時には)生まない取り組みを何ヶ月もかけてやる
やったところで以前より良くなるかは確実には分からない
だからやるべきでないという判断になる
問題は時間がかかることと、成果が未知数なこと
時間がかかる実装はAIなら速くなるし、成果が未知数なのはトライの数が足りないからとも言える。リファクタ自体何度もやり直せるというコスト感になればそりゃやったほうがいいという判断になるんじゃないだろうか
橋本忍体制の本質は一貫性を持って徹底的にダメ出しすること、複数作家制の本質は多様な発想を合意形成すること、という対比関係にあるとする
これまではコスト的に後者のほうがスケールするという価値観だったけど、コスト減少により前者のロマン追求型の取り組みが改めて価値を持つんじゃないだろうか
というよりはどちらの利点も取り入れられるとも言えそう