某スピルバーグ監督(某スピルバーグ監督?)作品だ。
この映画の導入もまたトワウォと同じように現在軸に至るまでの説明があり、人々が暮らすスラム街の様子が映される。この世界の人々はVRの世界に現実逃避をして入り浸ることで惰性で生きているのである。
そんな中ある少年がそのオアシスという仮想空間の創始者であるジェームズ・ハリデーの遺言に基づいた後継者争いに参加するうちに、世界の混乱もはじまる。仲間との協力であらゆる要素を駆け抜けるそんなストーリーだ。
私の個人的な好みで言えば森崎ウィンくん演じるダイトウが特に好きで、彼の有名なセリフ「俺はガンダムで行く」がオタクとして心に突き刺さる。
「君ならなんで行く?」と問われているようで。愛するジャンルへの真摯なまなざしを試されているようで、背を正してしまうセリフだ。
だが、私がこの映画で最も好きな要素は、創始者であるジェームズ・ハリデーとその友人、オグデン・モローの儚くばらばらになってしまった友情である。
彼らは幼い頃からの友人であった。けれどオアシスの権利をめぐり、恋と愛の帰結によりはっきりとその道を分たれてしまう。
オアシスについて、その権利についてハリデーとモローが「”俺たちの”」「”僕の”」って言い合いのようになっているのだが、「人と向き合うことが難しい無邪気で気まぐれな天才と、ある種無垢なまま親友を信じ続ける凡人」そのものだ。
ハリデーは自分が「作成者」「生みの親」という意味でずっと「僕のゲーム」って言い続け、それはとても正しい。しかしモローは「管理者」「育ての親」という意味で「自分たちのゲーム」という認識だったからすれ違い続けたわけで、その溝を埋めるためには踏み込んだ対話が必要だったのだろうか、と思うと違うな、とも思ってしまう。というのも、後悔や罪悪感や疑念を抱えつつ、きっと最後にモローは親友を受けれ入れてしまうんだろうなという、凡人故の良心からの選択をしてしまうと思うから。 親友の能力を最大限発揮できる場所を作り上げて、親友が生んだ世界に称賛を贈って、親友の恋を応援して、親友の世界を外の世界へ浸透させて、親友と共にその懐かしくて新しい優しい世界を楽しんで、それで親友の焦がれた女性を自分の妻にして、そして親友を独りぼっちにしてしまったっていう、結果的にとても悲しい悔やんでしまうような道をモローは歩んでしまったわけだ。 けれど案内人というポジションを全うしたのは、だからこそ、自責の念の為、亡き親友の最後の願いをかなえる(ここではハリデーが利益の為でなくただただ無為にカルチャーを商品として消費させるのではなく、楽しく遊んで優しい世界を伝えてくれるような後継者を探していたとする)(だって試練が明らかそういう人物選びを想定されていたから)、その道筋を一番近くで眺めて時には手助けできるからなんだろうなと思った。 種族や性別をも変えられる世界で若く強い姿で自分がそのレースに参加するのではなく、そのレースの行方を見守り続けられる場所にいたことにモローの決意が表れていて、けれどだからこそアノラックと決して会うことが出来ないというのがハリデーとモローのすれ違いの極み。 でも、ハリデーとモローが最後まですれ違い続けたのかって言ったら、それは絶対に違う。それはパーシヴァルがエッグを手に入れた瞬間に、すべてがきちんと結ばれてくれたと思ってまあ、アノラックとパーシヴァルの最後の会話で号泣したが。 ハリデーが終生抱え続けた後悔は、親友を失ってしまったこと。少年時代からの理解者を「自分のゲーム」から追い出してしまったこと。 それを間違っていたと断じてくれる後継者に巡り合え、しかもそれはその親友が25セント分のライフを与えたからなり得たこと。 ハリデーが後悔を詰め込んでそれを乗り越える試練を作り上げた世界で、モローがそのヒーローのピンチにチャンスを齎した。と考えたら、オアシスはふたりのオアシスだった。「ハリデーとモロー」の世界だったと思う。「ハリデーのゲーム」ではあったけれど、そこを超えて、「ハリデーとモローのふたりの世界」だった。ふたりの世界だった。 ハリデーが現実でないとおいしいごはんは食べられないって言っていたけれど、たぶん、ハリデーが一番一緒にご飯を食べたのはモローなのだと思う。だって絶対ふたりでハンバーガー食べたでしょ、ピザ取ったでしょ、フライドチキン食べたでしょ、サンドイッチを学校で一緒に食べたでしょ、ハリデーはモローが知らないお店を教えたでしょ、でも社交的なモローだからハリデーが慣れないような場所で乾杯したかもしれないし、あのオフィスでソレントのコーヒーも飲んだかもしれない。 ハリデーが死んでしまって何年も経ってようやくウェイドによって自分への親友の心を知ることができたモローだけど、でもハリデーはモローの案内人としての献身を知らない。でも、親友の死から、裏切ったのはどちらかっていう傷からも逃げなかったモローがいて、案内人はついぞアノラックとは出会わなかった。それで良いんだと思った。ハリデーが作った世界は、あの世界におけるオアシスで、そんな世界でモローはハリデーの為に生きていた。年を取らない機械のアバターで、オアシスのような優しい後継者を応援していた。 それがオアシスの、ハリデーとモローの世界の答えなのだからそれでいいんだ。
それはそれとして「これがエンタメだ!」でぼこすか殴ってくる映画でもあります。
ずっと楽しいしずっとドキドキする映画で、別のとある映画を観るまでは劇場でいちばん観たのはこの映画でした。