「うわ〜ん! 俺もいちごのドーナツがよかった〜!!」
これは、ある4月1日。まだ幼い彼の、泣き声から始まる小噺だ。
——ある4月1日の話
夜巳涼人は、今年から小学一年生。
小学校の入学式の日まで退屈な涼人は、今日も桜の訪れを待ちながら庭で大はしゃぎ。全身を草や泥まみれにしたら、疲れてぐっすりと眠ってしまいました。
その日。涼人が寝ている間に、お婆ちゃんがやってきました。
手には、お婆ちゃんの特製ドーナツ。涼人には、カラフルなスプレーがたくさんのチョコドーナツ。お姉ちゃんの涼香には、ピンクのいちごドーナツ。二人のために作ってきてくれたのです。
涼人が起きてこない間に、涼香お姉ちゃんはいちごドーナツをペロリと食べてしまいました。
涼香お姉ちゃんが、いちごドーナツの最後の一口を口に放り込んだ、その時。
上品な紅茶の匂いに誘われて、涼人が起きてきました。「涼人の分のチョコドーナツあるよ」、そんな何気ないお婆ちゃんの言葉も耳に入らず、涼人は泣き出してしまいました。
「お姉ちゃん!! いちごドーナツ食べたん!?」
「食べたよ。ウチの分やもん。涼人はチョコドーナツやで」
「なんで!! 俺もいちごドーナツ食べたい!! なんでお姉ちゃんだけいちごなん!!」
「は? 涼人、いちご好きやっけ??」
「俺もいちご好きやもん!! いつも言うてるやんか!!」
「アンタなんでも好き言うやん……」
涼香お姉ちゃんと、涼人の言い合いはどんどん激しくなって、大騒ぎ。いつも大人しい涼人の涙に、お母さんも、お婆ちゃんも、大慌て。
涼人は、食べ物の好き嫌いがない子でした。どんなものでも、美味しい、大好き、と言うのです。……だから、涼人にとって『いちご』が特別大好きなものだと、誰も知らなかったのです。自分の好物が知られていないことも、幼い涼人にとってはショックだったのでしょう。
涼香お姉ちゃんも、意地悪でいちごドーナツを食べちゃったわけじゃありません。お婆ちゃんに「涼香の分やで」と渡されたものを、素直に、夢中で食べただけなのですから。
「うわ〜ん! 俺もいちごのドーナツがよかった〜!!」
お昼寝をしなければ、自分もいちごドーナツを食べられたかもしれないのに。そんな後悔まで襲ってきて、ますます泣くことをやめられない涼人。お母さんは涼人の頭を撫でたり、お婆ちゃんが猛ダッシュでフルーツの苺を買ってきたりと大騒ぎの中、涼香お姉ちゃんは淡々と話しました。
「じゃあ次は、涼人がいちごドーナツで、ウチがチョコドーナツな」
「次……?」
「お婆ちゃん、いつも春にドーナツ作ってくれるから。せやから、次ドーナツ持ってくるときは、涼人がいちごドーナツで、ウチがチョコドーナツにしてもらお。これでウチら平等や。ええな?」
「……わかった」
涼香お姉ちゃんの言葉で、やっと、落ち着きを取り戻した涼人。泣き腫らした顔のまま、チョコドーナツを頬張りました。
チョコドーナツも、それはとても美味しいものでした。
そして、次の年の4月1日。
涼人は少しだけ大人になって、小学二年生に。
お婆ちゃんは約束通り、涼人にいちごドーナツ、涼香お姉ちゃんにチョコドーナツを作ってきてくれました。
「涼人の分やで」と、お皿に盛り付けられる、いちごドーナツ。涼人はすぐに手を洗って、椅子に座って……。しかし、涼香お姉ちゃんの席が空いていることに気づいて、涼人はお母さんに聞きました。
「お姉ちゃんは?」
「姉ちゃん、水泳教室や。もうすぐ帰ってくるけど、先食べときや」
「うん……」
お皿の上の、いちごドーナツ。とても、とても、美味しそうです。
そんなドーナツを、じい、と見つめてから。涼人は、お皿を持って台所に向かいました。
「お母さん。あんな——」
——数分後。
「ただいま〜。疲れた〜。」
水泳バッグを片手に帰ってきた、涼香お姉ちゃん。
家に入って一番に香る、お婆ちゃんの好きな紅茶の香り。途端、涼香お姉ちゃんの顔にぱあと花が咲きます。
「お母さん! もしかしてお婆ちゃん来てるん?」
「来てるよ。手ぇ洗って、ドーナツ食べや」
「やったー! 今年は涼人がイチゴで、ウチがチョコやんな」
「ああ、それなぁ——」
手を洗って、リビングへ。
椅子に座った涼香お姉ちゃんの目の前には——。
「……あれ? チョコとイチゴ、半分ずつ?」
見ると。チョコドーナツと、イチゴドーナツが、半分ずつありました。
どうして? と涼香お姉ちゃんが不思議そうな顔をしていると、お母さんはにこりと笑って言いました。
「涼人がなぁ。お姉ちゃんもイチゴ好きやから、はんぶんこの方がええって言うたんや」
「涼人が……」
「見た目は子供のままやけど、大人になったんやな」
涼香お姉ちゃんが振り返ると、リビングのソファですやすやと眠っている涼人の姿がありました。春の日差しを布団代わりに、幸せそうに眠っています。
そんな涼人の姿を見ながら、涼香お姉ちゃんはクスと笑って。チョコと、イチゴ。両方のドーナツを、嬉しそうに食べるのでした。
「ちゃうでお母さん。涼人も弟として、姉ちゃんに逆らったらあかんってわかったんや」
「アンタのそういうところは去年から変わらんな」
——ある4月1日の話 完