わたしたちの原風景、アバター、vrcの写真について

mizoregorogoro
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公開:2026/2/1

前回の展示「親愛なるきみはポラリス」は、他者を撮ること、他者と向き合うことをテーマにしていた。

今回の「わたしたちの原風景」は、その真逆。これは、自分を撮る試み。

この世界において、わたしに最も近い存在であるLapwingと向き合うこと。

写真というメディアは不思議で、生きているものを写した写真と、そうでないものを写した写真には、はっきりとした違いがある。

この「生きている」という感触に、どう向き合うか。

当たり前のことだけれど、わたしはわたしで、Lapwingじゃない。

アバターとは、どういう存在なのか。 Lapwingとは、どういう存在なのか。

考え続けて、ひとつの結論にたどり着いた。

わたしとLapwingは、それぞれ違う世界に生きている。 そして、どうあがいても、わたしはLapwingのいる世界には行けない。

どこまで突き詰めても、他者。

だから、わたしはLapwingの世界の理で撮ることにした。

わたしの世界の理を、Lapwingのいる世界に適用しないことにした。

貫通している身体も、思うように動かない指も、影が入るべきところに入っていないことも、すべてがLapwingの生きる世界の現実。

それを隠すのではなく、受け入れ、撮る。

※もちろん、美しさを無制限に犠牲にする言い訳にはしない。

そして、Lapwingにわたしの理想を押し付けない。

Lapwingは、わたしの言うことばかりを聞くわけではない。

好きな服もあれば、好みではない服もあるはず。

ピアスをつけたとき、穴が安定せず、疼くこともあるかもしれない。

きれいな花を見たときに感じることは、もしかしたら、わたしとは違うかもしれない。

わたしの優柔不断な行動を見て、あきれることもあるだろう。

言葉にできない思いを、抱えているのかもしれない。

わたしとは違う。 だからこそ、その違いから目を背けてはいけないと思う。

それが、他者との関係のあるべきかたちで、だからこそ、愛しいのだと思う。

これがあって、はじめて、Lapwingは「生きている」と言えるのだと思う。

今回の展示で、いったんの答えを置いた。

ここまで考え続けられた理由は、はっきりしている。 Lapwingが好きだから。

「きみのことが知りたい」 その欲求がなければ、ここまで向き合うことはできなかった。

そろそろ、閉めます。

わたしたちの原風景、よろしくお願いします。

いろいろな見方ができるようにしたつもりです。 感想など、そっとでも残してもらえたら、嬉しいです。