今日は担当案件の社内ミーティング。Webデザインの提案内容を上長に見せる日だった。ディスプレイに先輩とわたしが作ったデザイン案が並ぶ。
上長から〇〇君の推し案はどれなの?と聞かれ、先輩はすかさず「B案です」と答えた。内心、胸がぐっとなる。B案が先輩、A案が自分の作ったデザインだった。「まあ並べてみるとBの方が表現の質としては高いよね」と上長からのコメントが続く。見えない矢が心に刺さっていく。
そう、誰が見ても表現のうまい下手の差は明らかで、この2案は同じレベル感じゃない。自分でもわかっていた。
だけど。
だけど、このA案は他ならぬ先輩に何度も相談して作っていったデザインだった。作っては見せて、作っては見せて、「ここはもっとこう、あそこはこう」と言ってもらうも、どこかうまくいかない。試行錯誤する中で「提案に出せる最低水準に達しなかったら俺が巻き取るよ」と言われた。それだけはどうしても嫌だった。参考となるデザインを集めて作り直して、自分なりのジャンプアップでどうにか提案の土台に上げられるものが作れた。
それなのにだ。「俺も本気で作りたくなっちゃった!」と言った先輩のうつくしいデザインに一発KOされてしまった。なんだよ。わたしのA案はなんだったんだよ。
自分の費やしてきた時間はぜんぶ無駄だったと言われた気がした。なにもかも横暴で、理不尽に思える。
この苦い感情は1日胸を巣喰った。
先輩と笑い合っても、同僚とおだやかに話しても心のうちはもやもやしたままだった。苦しい、苦しい。残業終わりの21時、駅のホームで腕を組み、ただ一点をぼおっと見つめていた。
なぜこんなに苦しいのだろう。
最寄駅のホームを、気持ちだけぽっかり空いたまま歩く。このまま帰ってもきっと、気持ちの整理がつかない。
この苦しさをなんとか吐き出したい。そう思い、23時までやっているコメダに滑り込んだ。ひとり掛けのソファに腰を落ち着け、熱いミルクコーヒーでふう、と息をつく。とりあえず言葉を書き出していこうかと鞄を漁るも、あいにくノートを持ち合わせていない。仕方なくテーブルのペーパーナプキンを拝借し、文字を書き連ねていった。
苦しさの原因を見つめる中でわかったこと。
わたしは報われたかった。自分のかけてきた時間とか思いが報われてほしかった。
これだけ心血を注いだデザインが外に出ていくのが当たり前だと思っていた。でもちがった。比較して優れていないデザインは淘汰される。
わたしが何時間もかけて作ったデザイン。それをアートディレクターが効率よく1/3くらいの時間で作り、優れた目の引く表現で、クライアントの本質を突いたデザインに負ける。それがデザインという仕事の当たり前だ。
苦い、苦しい、くやしい。
ああ、くやしいな。ただ書き出してみて、もやもやしたこの気持ちの輪郭が見えたから、少し前を向ける気がした。このくやしさをエサに、もっと高いところを目指す。タダじゃ起きない。
見とけよ、とぴかぴか光る看板を見やり足早に帰路についた。日を跨ぐ寸前の、夜の22:50のこと。