5時半に目が覚める。昨日食べすぎたせいか、お腹が全然空いていない。
6時過ぎに家を出て、思い立って久しく歩いていなかったルートで散歩へ。なぜか室内に特に売りものでもなさそうなのにイタリア車が停めてあったり、時期によっては洋服屋の在庫置き場みたいになっていた謎のガラス張りのスペースがあったのだが、今朝その前を通ったらピザ窯付きのカウンターキッチンとなっていた。数年前からピザ製造所を思わす看板が建物の2階にあったので、もしかしたら事業拡大したのかもしれない。ただ、カウンターの手前にスツールが数脚置かれているものの、特にこれといった張り紙はされていなかったので、何屋になるのかはっきりとは分からない。願わくば、ひとりでもふらっと立ち寄れるピザ屋になってほしい。
柴犬数匹とすれ違い、このことを俳句にできないかと考えながら歩いていたら、壁の向こうから柴犬が顔を出しているのに気がついた。一昨年くらいからたまに見かけていたものの、ちょうど去年の今頃から見かけなくなっていなかった柴犬だ。久しぶりに会えて、ものすごく嬉しかった。白い毛が少し増えたような気がするが、元気そうで安心した。

しかし、頭を撫でるほどに、かつて一緒に暮らしていたダルメシアンのビロードのような手触りだった頭との違いを実感し、いまはもう隣にいない仔のことが恋しくなった。
◇
散歩をしてもお腹が減らなかったので朝食を抜く。午前中は洗濯機を回しつつ、少しダラダラする。洗濯物を干し終えてから、翻訳作業に着手。残り3本のテキストのうち、一番内容が複雑でないものを選ぶ。10時半を過ぎ、ようやくお腹が減ったので、早めの昼食として朝食に食べる予定だったヨーグルトと柿を食べる。午後に入ると、近所の神社で開催されている祭囃子や、お神輿をかついでいる声が聞こえてくる。すっかり秋だ。
16時前に翻訳作業終了。隣駅で開催されているチェコフェスティバルに行こうかと思ったが、無駄遣いしてしまいそうなので我慢する。その代わり、昨日の残りのウィンナーをフライパンで炒め、レモンサワー(ノンアル)と合わせて夕飯とする。我ながらケチで人生を楽しむのが下手だと感じながらも、ウィンナーは美味しかった。
もう1本翻訳をするには時間が中途半端だったので、洗い立てのシーツをかけたベッドに寝転んで、好きなマンガを数冊読み返す。読みながら、自分の人生に足りないのはときめきではないかと、ふと思うも、どうやってときめけば良いのかすっかり分からなくなっていることに気が付く。昨年の今頃には人間関係でときめくことがあったのだが、その後いろいろとうまくいかなくなって自己肯定感がダダ下がりになってしまったので(というか今もダダ下がったままだ)、同じ過ちは繰り返したくない。
買いものでときめくという手もあるかもしれないが、結局自分が一番ときめいているのは欲しいものを手に入れる直前、言うなればお金を支払う(ネットショッピングなら決済ボタンを押す)瞬間なような気もする。もちろん手に入れて大事にしているものも決してゼロではないのだが、買いものにときめきを求めると、ただ単に資本主義に踊らされているような気もしてきてしまう。
何か楽しい体験をするのが一番良さそうなのだが、ひとりでするよりも、誰かとしたほうが満足感は高そうだ。問題は、一緒に何かを体験してくれるような友だちといえる存在が自分には全然いないということだろう。ダルメシアンと暮らしていた頃は、ダルメシアンが良き相棒だった。いまの自分に必要なのは、相棒といえる存在なのだろうか。