マキャベリの『君主論』を読んだ

mmakiyama
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今日は朝から半日くらい、(心のなかで)ひたすら怒っていた。社外の話で、いやそれは倫理的にダメでしょと思う出来事があったからである。

目的を達成するためには人を欺いたり冷酷非道な手段をとることを厭わないといった思想のことを「マキャベリズム」と表現することがあるようだが、なるほど私はアンチマキャベリズムの人間なのだと思った。

一方、実は私はマキャベリの『君主論』については、教科書で見たその字面とマキャベリの肖像画をふわっと思い出せるくらいしか知らなかった。

高校生の頃、ヴィレヴァンで『ニーチェの言葉』なるニーチェの一言がまとめられた本が売っていて、なんかかっこいいからお小遣いで購入して父親にみせたところ、「原文も読まずにこんな本を買うな!まずは原文を読め!!」とめちゃくちゃ怒りながら『善悪の彼岸』を渡されて以来、「元ネタを知らないのにそのワードを使う」ということを恐れている自分としては、マキャベリエアプをするのもどうなのかと思い、まずは『君主論』を読んでみることにした。

結論、新訳版の訳がわかりやすいというのもあると思うが、めちゃくちゃおもしろかった。そして、マキャベリが言いたいこととして、自分が当初思っていた「マキャベリズム」とはちょっと違いそうだなという理解も得た。

君主論の中でとにかく書かれていたことは、「慈悲深さを優先して国を滅ぼすのなら、悪徳と言われても冷酷さを優先して国を存続させるべき」「一方で、憎まれることと軽蔑されることは避けなければいけない。」ということだった。

もちろん、「憎まれないために、憎しみの対象を他に移せ」みたいなあまり同意できない思想もあったけど、少なくとも目的を達成するためには悪事にも手を染めろということが基本論調だとは感じなかった。(冷酷代表のチェーザレの激ヤバエピソードは普通にやばかったけど、激ヤバエピソードを奨励してるわけではなさそう)

とりあえず、まわりの君主的な人のことを思い浮かべながら読んだら、すごく話がわかりやすかった。

ということで、私は一旦「アンチマキャベリズム」ではなく「アンチ・マキャベリズムを履き違えた人」を自称していこうと思います。