結論から言うと、33歳になった今年妊娠をした。現在はようやく安定期に入り、5カ月が経過したところで、順調に行けば来年3月頃から産休に入り、5月に出産予定である。
もともと子どもについてはぼんやりとは考えていたが、最初に判明したときはあまりに驚いて、あと5分後にMTGが始まる夫に慌てて報告してしまった。サプライズもなにもない。
妊娠が発覚し、驚き喜んだのはつかの間、そこからはこれまでの生活が一変した。キラキラマタニティライフなぞほど遠かった。
とにかく悪阻がひどくて、基本的にポカリ以外を摂取するとすぐ吐き、横になることしかできないので、とてもじゃないが仕事もできない。さすがに限界を感じ、社会人生活において初めて体調不良で1ヶ月仕事を休んだ。体調を理由に泣く泣く断るイベントもいくつかあった。
なお、突然な話にも関わらず温かい反応をくれた上司たちや、自分が不在の中チームを支えてくれた仲間たち、妊娠中の社員に対する手厚い制度を整えてくれている会社、そして何より一番身近で、私のことを第一に考えて支えてくれている夫に心から感謝している。
妊娠してからは、さまざまな気づきやイベントが発生した。
まず、これまで当たり前にできていたことができなくなったり、つらくなったりするということ。ちょっとした階段や上り坂がこんなにつらいのか。ただ立っていることが、こんなにも大変なのか。楽しみなはずの食事が睡眠が、嘔吐や深夜の覚醒によりこんなにも憂鬱なものになるのか。
そして、改めて自分に「妊婦」というラベリングをした上で、気づくこと、感じることの多さ。マタニティマークの存在の安心感。優先席はどんな人にどんな使われ方をしているのか。自治体の支援制度へのありがたさ。一方、「(出産年齢もあがり、ある程度キャリアを積んだ)働く女性が妊娠した場合」を考慮した制度になっているのか?という部分に生じる疑問。今後のキャリアの不確実さ。そして何より、これまで当たり前のように見えていた、まわりの働く母たちに対する尊敬の念。
これまでと全く異なる、(ある環境において)マイノリティ側の立場に立つことで、自身が今まで持っていた価値観は、ただの生存者バイアスだったのかもしれないと気づくことも多かった。自分が「こうあるべき」と考えてたことは、あくまでそれができる環境だから言えていたのかも、など。
少し話は反れるが、このように自分の価値観ががらりと変わる体験は、4年前の母の死以来のことである。当時、それまで当たり前に考えていた「母の日」のキャンペーンが、とてもつらくなるイベントになった。そんなとき、「母の日」などのキャンペーンの通知をオフにできるという取り組みをしていたサービスがあり、当事者としてその視点にとても心救われたことがあった。
当時を含めて、まわりがすべて自分に合わせてほしい、とは全く思っていない。しかし、「そういう立場の人がいる」ということを自分が身を持って知れたことは、自分がこれから他人と接する上でとても重要なことだったと思う。
今回、自分はたまたま「妊娠」という機会で得た視点があったが、人生において「知ることで、これからみていく風景や価値観に大きく影響を与えること」はたくさんあるのだろう。それはこれから自分が体験するかもしれないし、一度もしないで終わるかもしれない。そういったことを踏まえて、これから自分に起こり得る未知のことについて、恐れずに、自分自身に厚みを持たせられる機会だと楽しんでいけるようにしたい。