女主人公と自己投影の話

おいしい白米
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主人公の性別が選択できて名付けできるゲームの女主人公や、主人公像がこちらに委ねられていて性別が言及されないゲームを女主人公として遊ぶのが好きで、その辺の二次創作ばかり描き散らしている。彼女らはゲーム制作の工数の関係上大体中性的で、ゲームの主人公として何かしらの強さあるいはその世界で重要な役割を持ち、性別関係ない関係性を周囲と築いていることが多い。おそらくその辺りが好きなのだろう。自分と同じ性別の、自分(プレイヤー)の意思が介在できる存在が、世界で一番強くて、カッコよく、その世界で生きる人々とフラットで情念のある関係性を築いていると嬉しい。主人公が女であるということに理由がないと尚いい。主人公の存在を通して、女である理由のない自分も、当たり前にその世界の主人公をしている気持ちになって楽しいから。子どもの頃、寝付く前に布団の中で目を瞑り、微睡の庭の中さまざまな世界でどんな登場人物にもなって脳内お人形遊びをしていた時と何も変わっていない趣味嗜好である。10歳の頃と同じ遊びをずっと続けていると思うとちょっとびびるが、その想像を絵あるいは文という形である程度具現化できるようになっていることに感慨深くなったりもする。10歳の私よ、見ているか。きみの脳内を今の私は結構漫画にすることができるぞ。まだ夢の狭間で遊び続けているきみのために私は漫画を描いている。

こういう話をすると自己投影云々の話題からは逃れられない気がするので、整理も兼ねて書いてみる。今の自分としては、自己投影を馬鹿にしたり恥ずかしいものだからやめろと言ってくる人がいるのがやだよねー、と思っている。自分が自己投影していることに自分で恥ずかしくなるのはそういうこともあるよねだが、他人の遊びを恥ずかしいもの扱いするのはうるせ〜あなたに何の関係があるんだ〜てなる。まあこれ自分が恥ずかしいと思うから人のも当然のようにそれは恥ずかしいものです!て言ってくるんだろうな。その人の中では本当に恥ずかしいものなんだ。それを他者に押し付けるなという話だけど。夢創作を普通の二次創作と同じようにアップする人間に対し、隠れてください!夢創作は普通の二次創作とは違います、恥ずべき隠れるべきものです!て最も叩くのは同じく夢創作してる人間なのと同じ理屈だな〜と思う。怒りである。

まあ今それはいいや、自己投影の話だけど、そもそも自己投影してるかしてないかなんて自分でもよくわからんことの方が多い。さっき主人公を通してその世界の主人公をしている気持ちになって楽しいと書いたけど、これは主人公に自己投影してるっぽい文章だし、特にゲームという媒体は主人公とプレイヤーに密接な関係があるから、ゲームしてる時主人公は自分かもしれない。でもそれが二次創作してる時にも適用されるかというと、別に…という感じだ。創作するにあたって主人公という大きな概念から形を掘り出して、原作の描写や自分の好みを加味して肉を与えて動かすんだけど、動かした瞬間にそれは自分ではなくなる感覚も確かにあるからだ。微睡の庭では自分が主人公になったりしたが、空想の中のふわふわした出来事をペンで現実に描き出そうとすると、ひとりのキャラとして血肉を巡らせるために描き手は神にならざるを得ないのかもしれない。肉を得て、世界に生きる一人として他のキャラと同じ地平で動き会話する主人公を描くのはとても楽しいが、わたしから離れて生きるきみと向き合う作業でもあるので、ちょっとさみしい。

@mnocean
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