はじめに
『Detroit: Become Human』を初めてプレイしました。
その結果、心をわし掴みにされました。今もなお力強く掴まれております。
感動、すごい。圧倒、すごい。
のんべんだらりと過ごしていた日々の中、こんなに素晴らしいゲームに出会えたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。プレイしてよかった、本当によかったです。
すごいなあ、すごいなあ。
ここ数日、内なる自分がそんな感じで、絶えずぴょんぴょん飛び跳ね続けております。瑞々しくも昂った感情を吐き出してしまいたいと思い、この「しずかなインターネット」上で長文で語ろうと決意した次第です。ふとした時に恥を感じてしまう程度に はしゃいでいる自分を、数年後に客観視出来たらいいなと思いつつ。
全体を通しての感想
もう、本当に、この作品をプレイして得られた「ゲーム体験」が極上に素晴らしい。プレイヤーの選択肢次第で広がっていく物語。人生が選択の連続であることを、こうも考えさせられるとは。プレイヤーの入力に対して ゲーム内で結果を出力される「ゲームという媒体」だからこそ、あの作品に吸い込まれていったんだろうなと己を振り返ります。
どの選択肢を突き付けられた時も「どうかお願い、上手くいって」と祈る様にボタンを押した緊張感、今もまだ覚えています。
この瞬間、どう振る舞うのが正解なんだろう?
自分は今、どうなってほしいと思ってこの行動を選んだんだろう?
あの選択は、誰を救って、誰を傷つけてしまったんだろう?
もしかしてあの時、ああ選択していればよかったんだろうか?
目を背けたいのに、目を反らせない。逃げ出したいのに、引き摺り出される。どう振り返っても、「だって自分がそう選択したんじゃないか」と向き合わされる。「ゲームなのに」って言い訳をしたいのに、「現実もそうでしょ」って正論がこっちににじり寄る感覚。すごい、すごい、すごい。
2人のキャラのQTEが交錯する場面なんかは、もう情緒が忙しかったです。
「コナー、刑事としてカーラを追いかけて!」「でも、カーラは怪我しないで逃げ切って!」とか、「(コナーとマーカスの対峙の際に)喧嘩しないで!お願いだから決着つかないで!」といったような無茶苦茶な混乱状態。
個別ルートの時は、それぞれの幸せを願いながら操作していたのに。キャラ同士がぶつかり合った時、瞬間的に「どっちを取るか」という判断を迫られていることに気づく。事が済んだ後に「自分は幸せを願いながらも、その幸せ同士を天秤にかけてしまったんだ」と、罪悪感に苛まれるのでした。
肝心の感想が「すごい」に着地してしまうのですが、すごかったんです。本当です。