2024/01/07

mo_riwo
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5月にキャスターと主人公とマシュの本を出した時、最初のページをサンプルに入れなかったので、開いた瞬間知らないページがある!と驚いていた方の声をいくつか聞きました。

なんとなく、なんの文脈もないままにインターネットに流しにくいな…と思ってサンプルからカットしたページだったのですが、最近そのページをよく思い出します。こういうことを書いていました。

でも、こんなのは誰にだって訪れる試練だ。

(とても個人的に)fgoのシナリオの中で主人公一行に降りかかる辛く厳しい試練は、フィクションだからこそ、ファンタジーだからこそあり得る試練である一方で、日々を生き抜いているわたしたちの身に起こっていることと、大差ないのではないかと思う時があります。

いや、大差はめちゃくちゃあります。わたしは地球人類の存亡をかけた戦いをしていないし、わたしの指先ひとつで失う命は自分の命程度のものです。右手に令呪はなく、世界を救うミッションも相棒もない。

それでも、「明日のために今日を生き抜く、今日何が起こるとしても、簡単に諦めを選ぶことはできない(手段としても、覚悟としても)」というところまで抽象化すると、やっぱり大差がなくなってくる。(抽象化してるから当たり前なんですが)主人公が逃げずに今日生きることを選び続けているのと同じく、カルデアの善き人々も日々の仕事の中に選択と葛藤があり、わたしたちの生活の中にも選択と葛藤、時間を生きた結果がある。

そういうことを思うと、日常を生き、戦いに揉まれ、仲間の闘いを知っている主人公は、旅路の厳しさを「自分一人に起こっている試練」と捉えるよりは、「誰にだって訪れる試練」だと感じ、知っている誰か/見知らぬ誰かの中にある戦いを重んじてくれているといいな、と思って書いていました。

が、うまく伝わるように書けなかったのでここに残します。