超ネタバレでスクショベッタベタ貼ってるよ。
奏章Ⅳについては個人的にダンテの「神曲」を読んでから臨んだんだけど(それが何かの理解に影響したわけではなく、物語の構造の把握に少し役立った程度)、それもあってダンテへの愛着がなかなか高い状態でスタート。M&Dのやりとりが本当に好きだったよ。

▲バレンタインイベントのこのシーンでダンテのこと大好きだなと思った
奏章Ⅳにおいて一番好きなのはそもそもテーマが好きなんだけど、「正しいとは、何を持って定義されるのか?」「正しさで、間違える生き物を裁けるのか?」あたりの問答を自分の中で交わしながら読み進めたのがいい体験だったなあと思っている。最近とくに、「正しさ」を意識するニュースが多いから。
テーマとしてはカルデアの裁定というよりは「カドックの贖罪とゴール」↔︎「克己を果たして歩み続ける主人公」↔︎「マシュのデザインベビー/円卓の盾としての人ならざる潔白との訣別(成長)」の対比が一番色濃かったと思っている。

メタトロンの「間違った人類は滅びるべき論」はこれまでも繰り返し提示され、その度にカルデアは「間違えてでもより善を目指して歩みを進められる人類にこそ、生存の意義があると信じている」論で答えを出しているのでこれは今回のメインテーマとして読むべきではない気がしている。むしろ「究極的に公平な裁定」などなく、裁定の上でメタトロンが待ちたかった「今度こそ間違えない知性体」は「(二部7章や奏章Ⅲで示したように)隣人さえ救えない世界で停滞を迎える」のだ、つまり高位存在でさえ「絶対的に正しく人理の歩みを裁くこと」はそもそもできない。そのなかで、「裁定者(ルーラー)は何を以て人理側(カルデア)と歩むのか?」的なあたりがルーラー章としてのテーマだったのかなと。

▼この辺は奏章Ⅲでしっかり答えが出てますね感。「間違い」ってルーラーにとってのテーマっぽいなと思ってたけど、「間違えないモノ(AI)」にとってのテーマとして昇華され、「間違い=罪」の下地を作った上でⅣに入ったんだろうと思う。




「知性体(人類)の繁栄において『間違い』とは必要不可欠な素養であり、裁くことはできても無かったことにすべきものではない」の象徴として「間違いを犯した人間を受け入れる地獄」「天国への到達を目指して贖罪を歩む煉獄」がメイン舞台として選ばれている…のかなと思っている。どうだろう。
冒頭でも書いた通り、「人として迷うこと・間違えること」の是非を問うテーマは人間のことを深く考えるテーマだなと思うので、そもそも自分に合った話としてとても面白く読んでいる。というのを前提として…
奏章Ⅳのキャラクター構造として好きなところは色々あるんだけど、「裏切りに対する贖罪の意識とキャスターとの生存の約束、そしてカルデアとの絆」の中で自分を自傷的に罪の中へ沈めるカドックに対し、「貴方には罪がある。そして罰は与えられる。それは貴方自身の選択によって与えられる」と説き、友としてカドックの道行の最後を見届けたアショカ王がいたことが個人的にはものすごく好き。カドックは「因果応報的な罰」を自分に課したがって悪夢を(否応なく)見ていたけれど、アショカ王は「罪の浄罪としての罰」をカドックに説いた点、それがカドックの「僕にも世界を救えるってね」の選択に繋がるのが本当によかった。今際の際の生存の選択・罪・罰・一人で覚悟を持って選ぶ選択の価値・その結末・ゴールで「人生の価値」を評する者がいること…一部から二部にかけて丹念に提示され続けたFGOの根幹を通った彼もまた主人公すぎる、カドック。令呪が主人公令呪と形が似ているだけある。大好き。
▼FGOの「裏切り」は「悪」とされる場合ばかりではないですね、の例にカドックと一緒に全力ダッシュしたホームズがいることが胸ギリギリ締まる。


▼ヴラドの「裏切りに躊躇いがあるようでは、信を置かれぬ。」がここで変化球に染みる。6.5章ってなんで必須じゃないんだ。


人の悪をテーマにした本章でアンリマユ(押入れの中の人)が出てきたのも本当によかった。これはホロアタの経験があるからだけど。カルデアにとっては召喚されていない(認知されていない)サーヴァントなのでついぞ名前がでなかった点も含め。

▲一部7章あたりでマーリンと接することでプレイヤーが触れる「人理の紋様」とは何か?を改めて説明してくれるアンリマユ好きだ。人間の理解者だなあ。
ルーラー章としてのテーマの話を一番背負ってくれたのはヨハンナさんだったと思う。二部7章からここまで続く「間違える素養」「不平等という素養」は「努力と繁栄の素養」「隣人を愛する素養」であること、「自分の心で選んだ『マシな選択』こそが、ゴールで微笑む条件」であること、「自身の中に根付く矛盾は、自身ひとりで気がつけない」こと、何よりルーラーとしての「偏った己の天秤を揺らすと決めたこと」を「鋼の意志で行使する」姿…etc…。大好きだなあ。▼



▼他者への憎悪を「それを否定できるのは対聖人の時だけだ」と静かに返すダンテのリリスに対する受容がいいなあと思った。地獄と煉獄をゴリゴリに描いた『神曲』作者だ。


▼後半に行けば行くほど「カドック・マシュ・主人公のA'チーム萌え」でメチャクチャになってしまい、このへんからプレイメモが途切れてて笑う。メモしている場合じゃ無かったよね、もう。


一人一人が己の罪に対する内省と決断を抱えて一緒に歩んでいる姿、その内省は内省であるからこそ歪み間違える要素を多分に孕んでいること(例:マシュ)、それは友人と対話を重ねる/他者の声に耳を傾けることで「自分の心がマシだと思うほう」に光がさすこと(例:カドック・主人公)、そういう象徴の表情があるなと思って読んでいた。ここのマシュ辛そうだったな。

地獄の底のコキュートスにジャンヌ・ダルクがいる構図よ。

▲ジャンヌに続き、「智慧」たるプトレマイオスから重ねて「正しさ」「真実」「ヒトとしての選択」について説かれるマシュの図も好きだ。ここがテーマです、と繰り返し念押しされているようであるし、この特異点にいる英霊たちはみんな「選択」を終えた存在であること(その存在が地獄でヴァルハラ化していることにも)にたまらん…となる。
マシュや主人公に「ヒト」を説くシーンを読む時、プレイヤーとして、現実の人類史の最先端を歩く自分が英霊から受けたい説法のようだなあと思う。

▲カドックからこの言葉を受け取れるようになった時間の長さを考えて泣きそうになる。一緒に世界を救おうよ。

▲冒頭の「ダンテの好きなところ」が滲んでいる。「悲しいと思う」と表現する絶妙な距離感が好きだ。否定しないし肯定もしないし、善悪を評さず、「悲しいと思う」「辛いと思う」。


▲グラナートに集うルーラーたるルーラーたちの「罪と罰」に対する意思が一致しているところが好きだよ


▲Fate Levelが高くないとこの微笑みの真意を理解できないだろ(できないよ)

▲「正と悪」の問いに「選択をして、自身の立つ場所/自身の目指す理想について思考を続ける」の解を出したマシュ・キリエライトの「人類」たる姿に涙とまらなかった。無垢を捨て、清廉をやめ、「英霊が背中を押したくなるヒトのヒトたる姿」に行き着いたマシュのことが大好きだ。人類史の最先端を走る女の子。

▲「憎しみに耐えて生きる」にいろんなことを思う


▲「罪をそそぐ」という表現が「雪ぐ」であることがこれほどまでに似合う最期を知らない。美しくて涙が止まらなかった。罪であると裁かれることで、人はようやく罪を贖う機会を得ることができる。
このルーラー章は「カルデアの・主人公たちの人生における罪は何か」を裁き特定することで、「その覚悟ある罪を贖う行為を許し、それを以て赦されることを許し、ひとりひとりの歩みの価値を肯定する」話に帰結していく。いままで散々ストーリーの中で撒いてきた『罪』『間違い』とは、その存在自体を過剰に(必要外に)執拗に責めているのではなく、その輪郭を描くことでこの長い長い物語を肯定する最後のピースだったんだろうと思っている。

▲「裁判長」としての台詞として、美しく響いただろうな〜と思ったところ


▲マシュの無垢・清純に対する違和のテーマを一身に背負う存在として現れたリリスのラストが力強かった。「憎悪と愛」の引力についてしっかりなぞっているところがFate的だなと思う。「不倶戴天の敵」ってこれまでのストーリーで英霊的な物語の関係としてくらいしか出てこないだろう。マシュにとっての「不倶戴天の敵」が組み上がるほどのストーリーがあった証左だな…とメタの観点で嬉しくなりました。