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小学6年生の時に、海外短波放送を聞き始めたことは先に書いた。
短波帯の電波を受信していると、アマチュア無線の交信も聴くことができることに気が付いた。また、当時は少年向けのマンガ雑誌などに、アマチュア無線の免許をとるための通信教育の広告もよく見かけた時代だ。
興味を持ったので、中学2年生の時に学校を休んで国家試験を受けにいくことにした。親は休むことを学校に伝えてくれたが、学校は簡単に許可してくれたのかは聞かなかったので不明だ。とにかく、受けに行き、一発で合格し、電波を出せるようになった。またまた、親のすねかじりで、おそらく15万円くらいしたであろう、トリオ(現在のケンウッド)TSー520Vという短波帯の無線機を買ってもらった。アンテナは屋上に垂直型のグランドプレーンを設置した。
短波帯は海外とも交信ができる。当時は太陽活動が活発で、日々に変わるコンディションによっては、地球の裏側まで電波が比較的簡単に到達する。
自分の免許の範囲では10Wの比較的小さな電力でしか電波はだせなかったが、21MHz帯の周波数で、週末になると、北海道・沖縄とよくつながった。
海外ともたまに交信できた。
英語は短波放送でよく聞いていたし、NHKラジオでも勉強をしていたので、臆することなく話をすることができた。といっても、短時間の定型的な会話ではあったが。
もう、そのころの交信記録(ログ)は処分してしまって残っていないので、今となってはどれくらいの数を交信したのか分からない。それほど多くはないだろう。交換した交信証明書(QSLカード)は靴の紙箱一つ分しか残っていないので。
高校受験、大学受験と生活環境が変わったが、アマチュア無線は細々とと続けていたと思う。大学もアマチュア無線クラブに入部した。社会人になっても会社の独身寮でも430MHzを中心にパケット通信(今のインターネットのはしりのようなもの)などを楽しんだ記憶がある。
結婚してからは、子供の手が離れるまではほぼほぼ中断していたが、無線局の免許はずっと切らさずに継続させていた。
60才の今もアマチュア無線が自分の趣味の一つと言ってよいだろう。