グッジョブ 2024/04/01

mochimochi3
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1年前の4月に少し記憶を馳せながら散歩に出る。この1年の記憶はほとんど無いに等しいが、ひとつだけ忘れられない4月の記憶がある。入社して5日目くらいに外部研修があった。そこでは社会人の意識・態度・挨拶などを座学と実践を交えて学ぶものだった。自責の念を持つこと、電話対応の方法、報告連絡相談をすること…。社会人になるなら頭の中も身なりも変身する必要があると堅い呪文をずっと聞いていた。2日間の研修が終わり、まだ少しよそよそしい距離感の同期たちと中華を食べた。二次会はカラオケで、なんとなく行くことを決めた私は現金が無かったのでコンビニまで下ろしに行こうと思い、後から行くね~と同期たちに伝え、近くのコンビニに向かう。そこで同じく手持ちの現金がない関西から来た同期(彼女と私はいつも現金を持っていなかった気がする。)も一緒に行くことになった。「なんかさ、これからやっていく自信ないかも。」と気づけば言っていた。「わかる。今日の研修とかさ、まじ洗脳だよね。」「お客さんにお茶を出すとき、もしお茶をこぼしてしまった場合、こぼれていない全員分のお茶も入れ替えるっていうやつが一番わからない、わたし。」私たちは履き慣れないハイヒールと仕方なく着たスーツを纏い、神保町のど真ん中で顔を合わせげらげら笑った。少し酔っ払っていたし、疲れていた。ぎゃははと笑いながらさみしくて、諦めた笑いに近かった。笑いすぎて力は入らなく、コンビニは全然見当たらなくてこのままカラオケばっくれるか~と言いながらも、コンビニを見つけ、何もなかったような涼しい顔でカラオケボックスに入った。そのまま社内研修を終え、配属が決まり、毎日同じ時間の電車に乗り、会社に向かい続けた。

あれから1年が経ち、散歩をしながらたくさんの呪文を思い出した。「3年は働かないとなにも残らないよ」「社会人ってこんなものだから。まあ慣れてくるよ」「社会人として恥じない行動をするように」。その全てに嘘はなく、正しいとも間違いだとも思わない。ただただ呪文だ、と思う。3年働いて得るキャリアやスキルは私の必需品かはわからないし、自分のことを責めて嫌う生活に慣れがくるとは思えない。そもそも社会人としてという言葉がよくわからない。わからない呪文を笑顔で飲み込んで、結局自分が誰だがよくわからなくなってしまった。社会人にはなったけれど、私の名前は呪文に飲み込まれていった。

だからわたしは書くのだと思う。生きているとたくさんの言葉にであう。口から出る言葉から世のほとんどのものことが組まれて立っていくように思います。大きい声で大人数で言葉を発すれば耳に入ってきやすい。耳に入った言葉が呪文のように思えたとき、わたしはゆっくりと呪文を紐解いていく時間がほしい人間なのです。そしてその呪文を書き換えたい。また名前が飲み込まれないよう。

悪魔と天使が頭の中にいて、どっちも好き勝手ごちゃごちゃ言いますね。そんなとき、悪魔の呪文に飲まれるときもあります。それが人間です。ただ、そのごちゃごちゃの中から天使の声を見つける訓練をし続ける感覚。

1年前、スーツでゲラゲラ諦めて笑った私へ。あなたはなにも変じゃないよ。天使みたいな時間だったね。