陣内のナチュラルな部分を羨ましく思う。
突拍子もなくて、まっすぐというより突進してくるかんじ。
だが、「レトリーバー」で描かれている陣内がわたしはいちばんすきだ。
陣内の友人である盲目の永瀬の恋人・優子が語り手となり、陣内の印象的な場面を思い出す。
盲導犬を連れて歩いている永瀬に、通りすがりの婦人がお金を渡す。
それを見た陣内の一言「何で、おまえだけなんだよ!」「何で、おまえがもらえて、俺がもらえないんだよ」「たぶん、僕が盲導犬を連れているから、じゃないかな。目も見えないし」「そんなの、関係ねえだろ」(p174-178)
この「関係ねえだろ」のひとことを、彼はナチュラルに言っているのだと思う。普通に。ふたりはほんとうの友だちだ、とちょっとくすっともできた。
陣内が家裁調査官になって、「少年ってのは一種類じゃないっつうの」(p.227)というセリフもすき。
彼は「盲者」や「少年」大きな主語ではなく、ちゃんとひとりとして接している。
それって、もうナチュラルなものでしょ?
と感じさせる、伊坂さんの人物描写もすごい。
あとからその自然な感覚をつけるのはとってもむずかしいとわたしは思う。少なくともわたしは意識しないと、大きな主語で人と接してしまうことがあるから。だから陣内のナチュラルな部分が羨ましいのです。
休職し、人生潜り中のわたしは
実家のトイレにあったこの本をなんとなく選んだ。
母親によるとどうやら弟が読んでいたらしい。
夢中になって1日で読み終えてしまい、感服。
今北海道に旅行中らしい弟を無理やり引き戻して、感想を聞きたい。さすがにかわいそうか。