帰りたくなった時用

moemoe
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アメリカに来て、29日。帰りたいと思わなかった日はない。羽田空港で、12時間空きがあると分かった時は本気で帰ろうと思った。6月に3週間休みがあるってわかった時、真っ先に浮かんだプランは帰国。今の口癖は、帰りたい。

けど、29日目にして、気持ちが変わってきた。きっかけは、王道だけど、どれだけ留学に行きたかったかを思い出せたこと。それと同時に、なんで帰国したいかもわかった。また帰りたくてたまらなくなった時にそれを思い出せるように、そして帰国したい理由を整理できるように、今日はこの2つを書こうと思う。ノブの幼少期を教えてくれたから、私の幼少期の話と共に、書こうと思う。

小学校のころ、Girl meets worldっていう海外ドラマがきっかけで海外に興味を持った。そのお話の一人に、勉強好きなファークルってキャラがいて、いじめられず好きな科学に没頭している。みんなが勉強が嫌いな小学校にいて、もっと学びたいのに制限をかけられている気がしていた私からすると、うらやましくて、キラキラした世界に見えた。今思えば、これが、はまった理由だと思う。そして、倫理観が身につく小学生の時期にこれを見たせいで、日本らしくない道徳が身についてしまった。人と違う自分の人生を生きる。変化がない人生はつまらない。だから、特に理由はないけど、「他の人と違う生き方をしたい、安定は取りたくない」って考えてる。ノブを好きな理由として、この考えをノブも持ってるから。

それもあって中学は私立に行った。そこで丸川先生に会って、ここで英語を好きになった。点数が取れるから楽しかった。最高、英語の偏差値が71出させてくれた先生。本当にすごいと思った。でも、英語を好きな理由が「できるから」だったから、高校に行って英語の先生が変わった瞬間大嫌いになった。ただ覚えろって言われてつまんなかったし、理由知ってる文法を理屈ないって説明する先生を信用できなくてとにかく嫌いになった。でも、なんで好きに戻ったかというと、英語の必要性を感じたから。

高校では同性婚の探究活動をしていて、データを集めてた時に読みたい資料はほとんどが英語だった。ここで英語の必要性を強く実感した。あと、性自認がきっかけでいじめられた人の手紙を頑張って辞書たたきながら読んだときに、日本人のを読んだ時とは比べ物にならないくらい心が動かなかったのに愕然とした。この時、英語で読んだり聞いたりして、泣くっていうのを学習のゴールにした。英語が分かると、わかる人の気持ち量が増えるって知った事が英語好きに戻ったきっかけ。

そして、もっとその人たちの気持ちを知りたいと思って、オーストラリア研修に申し込んだ。無事合格し、国から50万円ももらえて、濠で同性婚についての発表の場まで用意してもらえた。それに向けて、半年準備をした。なのに、出発2週間前、コロナで中止になった。小中高と挫折を知らなかった私にとって、別ルートを見つけられない初めての挫折だった。やむを得ない中止ということも相まって、悲しみや怒り、やるせなさをどこにぶつけていいかわからず、勉強へのやる気を失った。ここまでが高一の出来事。中学で高一までの範囲は終わってたけどそこからは何も知らない状態で、やる気を失った私は、ここから勉強しなくなるし、貯金もなくなったから、ほぼ最下位の落ちこぼれ生徒になる。

高3で磯本先生に会って、英語への熱がまた戻ってきた。あと。杉山先生に会った。この人が、初めてかっこいいと思える生き方をしている人だった。こういう出会いがあって、進路選択の時、外大に行くことにして、今。

今私は、一度敗れた夢をかなえている。私たちの代はコロナの代って一生呼ばれるであろう代で、甲子園だったり、修学旅行だったり、もう取り返しのつかないものを失ってる子たちが多い。私もその一人で、多くのものを失った。けど、一つかもしれないけど、その時に無くした希望をもう一度かなえることができている。

アメリカに来て多くのホームレスを見てきた。中には話しかけてくる人もいる。そういった人を見ると、この人の人生に残された希望のなさをひしひしと感じて、つらくなる。あと、その人達を見ると、古戦場の明光義塾、劣等生クラスの子たちを思い出す。あの子たちは、家庭環境が悪かったり、学校でいじめられてたり、勉強じゃ解決できない悩みに毎日悩まされている。勉強は、来てほしい未来があって、初めてしたいものなのかもしれないと気付いた。

「できないことがある君にしかできないことがある」っていう言葉は、再三聞いてきた言葉だと思う。けどそのできることっていうのは、同じようにできない人に寄り添ったり、共感してあげられる事を指していると思ってた。けど、それだけじゃなくて、できるようになった自分にしかわからない希望とか自信も指してるのかもしれないと思った。塾で、劣等生クラスの子たちに、家や学校の相談をされるたびに、なんて声をかければいいかわからなかった。かけたらダメな言葉は実体験からわかるけど、言ってあげるべき言葉が出てこなかった。けど、学校の教室が全世界で、クラスメイトの考えが世論だと思ってる小学生にとって、目の前にある問題は大人から見たらちっぽけだけど、その子からしたら、信じられないくらい大きなものであって、時にはおびえている。目の前にある何かと必死に戦おうとしてるなら、嘘でもいいから、その子が勇気とか希望を持てる言葉をかけたいなと思った。ここで、幼少期に戻るけど、私の幼少期も決して明るいものではないし、悩んでる子たちが感じているものはわかってあげられる。この留学から逃げなかったら、その子たちにかける言葉に信憑性が出るかなって思えた。教職を履修してないから今から、先生になることはできないけど、また塾講に戻った時に、劣等生クラスの子にかける言葉に厚みが出て、一人でもアメリカのホームレスみたいにならないのなら、ちょっと留学頑張ってみようと思えた。