私は2回出産している。
出産ってのはいろんな意味で人生が覆る経験だと思うけど、たぶん私の出産は特別ではない。語っても、見聞きしたことのない人は「へえ」、ある人は「わかる」くらいの反応があるくらいの、ありがたいことに普通のお産だった。なのに、なぜか私は機会があれば自分が経験した出産について喋り倒したくて仕方なくなる。
素晴らしい体験だったと悦に入りたいわけではない。どちらかというと、ともかく、痛かった!つらかった!きつかった!腹立った!なんか、なんかすごかった!ということが言いたい。単純に「ママ、見て見て」てやつなんだろうとも思うけど、どちらかというと恥ずかしい情けないやつなんで、なんかそれもしっくりこない。しかも、無痛分娩だった私はおそらく本来の半分程度しか苦しんでないから武勇伝的にも足りない。それでも語りたくて仕方ない。
我ながら、なぜそんなに?
なんでかなぁと考え始めて、まず弟の言葉を思い出した。
「姉ちゃん、すごかったよ。ずーっと『世の中のお母さん偉い。マジすごい。これまで舐めた口きいてマジすみませんでした』て唸ってた。なんか俺もそうだなあて気持ちになったもん。」
ああ、これね。うんうん、本当に、当たり前にたくさんいる母たちのすごさを実感したってのはある。この認識はもちろん母の仲間入りした自分にも跳ね返って、出産を機会にめちゃくちゃ自己肯定感が上がったと思う。
あと、そうそう。出産してから、渋谷のスクランブル交差点を眺めていると、この人数だけ、複数のどこかの母があの体験をしたんだな、すげぇな…てしみじみすることもあった。人間がただの人間じゃなくて、ひとりひとりあの出産を経ての人間だと思うと、なんか大事にしなきゃなて思った。
もしかしたら、オバチャンたちが通りすがりの赤ちゃんを愛でたり、相手の年齢性別問わずにアメチャンくれたりする心理は、私が感じているこの人間愛的なものに由来するものかもしれない(私もオバチャンゆえに)
ううーん、そう思うとやっぱりすごい体験だったんだな。
出産てのは女性しかしないものと初めて知った幼少期、母に「なんで女の子に産んだの!」とぷんぷんに詰めよったことがある。大人になって出産を経験するのが嫌だったから(なぜか経験しなきゃいけないものと勘違いしてた)。そんな娘に母は「出産できるなんてすごいことよ。女の子にしかできないんだからラッキーじゃない。」なんて言った。「そんなバカな!」と当時の私は怒った。痛い思いせずにお父さんになれる男の子はずるい!
今もその気持ちはある。けど、経験した今は母の言葉も全否定できなくなった。
出産って大変!でも世界の一部が反転するあの感覚は私の人生で最もドラマティックだったな!
そう思うと、今日も私は語りたくなっちゃうんだな。