会食恐怖症とわたし

moko_ko
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自己紹介

みなさま はじめまして!もこと言います😊いま現在大学生です

今回の記事では会食恐怖症になった経緯や、今まで症状と共にどのように過ごしてきたかなど

いろいろなことを書いてみたいと思います

同じ症状の人に "自分だけじゃない"と少しでも思ってもらえれば嬉しいです。

拙い文章だと思いますが、どうぞよろしくお願いします😌

会食恐怖症になったきっかけ

私が「誰かとごはんを食べる」ことが苦手になったのは中学2年生の時です。

私の学校では給食の残飯の少なさを競う「給食コンテスト」というものが年に1回行われていました。

私のクラスはこのコンテストに意欲的で、特に先生や給食委員の人が「残飯0」を呼びかけ、絶対に残せない雰囲気に包まれました。

もともと私は少食な上に食べるスピードが遅く、学校の給食を完食できたことは記憶上、ないに等しいです。

この残飯0というものは、私の中で不可能かもしれないという怖さと、頑張れば食べられるかもという淡い期待を抱きながら給食を一生懸命に食べました。

ですが結局給食を完食することはできませんでした。

みんなが片付けをし始め、誰も残している人はいません。

残飯ないね!などと声も聞こえ始めました。

まだ給食が目の前に残っていた私は「どうしよう食べられないかもしれない」と一気に焦りを覚えました。

周りで友達も頑張れーと応援をしてくれ、周りに迷惑をかけたくない、早く食べ終さないと!という思いが次第に強くなりました。

そこでいつもより1口を大きく食べてみましたが、全く喉を通らず飲み込むことができません。

ここで私はもうダメだ、食べられない、と諦めがつきました。

先生も私が無理そうだと思ったのか、「残していいよ」と言ってくれました。

その言葉とは裏腹に、先生はとても残念そうな顔をしていました。

その日の給食を残した人は私だけでした。

私さえ残さなければ1位を取れたかも。 みんなをガッカリさせてしまった。

という強い罪悪感と申し訳なさを強く感じました。

この不安は給食にとどまらず、家族や友達との外食にも影響が出てきました。

病気と認めたくない!

友達と遊ぶ時や家族と外食する時、いつもなら何とも思ってなかったごはんが少し不安に感じるようになりました。

それでも最初の頃はドキドキしながら、完食出来ることも多く「はぁ終わった〜」と安堵しその場をやり過ごしていました。

しかし不安は消えることはなく、この症状はなんだろうなと思って調べてみたところ、辿り着いたのが「会食恐怖症」という言葉でした。

それを見た時、怖いと感じました。

自分はこういう病気なのか?いや病気だとは認めたくない!

という気持ちから、じぶんを会食恐怖症と認めることは出来ませんでした。

一方で、もしかしたら…と認識はしました。

深く考えすぎなければ、気にしなければ治るだろうと、自分を騙すような形で5年ほどが過ぎました。

会食恐怖症と認める

5年も何とかやり過ごしてきたけどこの不安がなくなることはないなと悟ったわたしは、自分を会食恐怖症と認めるようになりました。

ですが、私は会食恐怖症なのだと意識し始めてからは、余計に人とのごはんが苦手になってしまいました。

やっぱり気にしない方が、まだマシだったと後悔しながら、日々を過ごしました。

唯一の救いが、家でのお母さんのごはんは食べられること。

家でお母さんのごはんが食べられれば、私の中で最低限、問題はありませんでした。

コロナ禍ということもあり、外食の機会も減っていたので、特に様子がおかしいと思われることもありませんでした。

打ち明ける時

やっと打ち明ける時が来ました。

母に打ち明けた時は愛犬が亡くなった時です。

それまで家では問題なく食べられていたのに、急に外食と同じような症状が現れました。

食べられない、、、

お母さんのごはんを食べられないことが1番悲しくて、お母さんのごはんがおいしくないから食べられないわけじゃない、ことを知って欲しくて打ち明けました。

(今思えば、これは愛犬を失ったショックから食欲がなくなったのだと思いますが…)

お母さんはちゃんと話を聞いてくれて、理解しようとしてくれました。

いちばん信頼してるお母さんに言えたこと。

それはとても大きくて、ずっと隠し事をしている気分だった私は、スっと気持ちが楽になりました。

それからお父さんや弟にも症状を説明しました。

親友などにも徐々に打ち明け始めました。面と向かってしっかりと話せる自信はなかったのですべてLINEで自分のことを話してみました。

私の友人はありがたいことに理解のある人ばかりで「そうだったんだね〜言ってくれてありがとう!」と優しく返してくれました。

打ち明けても距離ができたり、友達をやめられてしまうわけではないと分かり、安心しました。

話すきっかけをくれた愛犬にも感謝です。

当事者と繋がる

家族に打ち明けてからは、自分の症状を認められるようになり、同じ症状の人たちと共有したいという気持ちが大きくなりました。

SNSや当事者コミュニティーで繋がりを持ち、みんなの不安に共感したり、会食練習をする姿に刺激を受けたりと、自分だけじゃないという安心感や前向きな気持ちが生まれ始めました。

今のわたし

やはり誰かとごはんとなると、約束をしたその日から当日まで無意識に「ご飯ちゃんと食べられるかな」と不安に襲われる瞬間が何度もあります。

その度に 落ち着け自分 なんとかなる と自分に言い聞かせています。

そしてその日をなんとか乗り越える

そんな感じです。

ここからは会食中に考えていることや、食べやすい条件など書いてみようと思います

↓↓↓

会食中、こころとカラダの動き

❶人と食べる時に、完食できるかと不安になる

❷緊張から飲み込みずらくなる

❸一口が小さくなり、食べるのが遅くなる。

❹相手が先に食べ終わる

❺早く食べなきゃと焦りを覚える

❻余計に食べられなくなる

相手を待たせて迷惑をかけてしまう!というプレッシャーを勝手に感じてしまいます😓

比較的食べられる条件

テラス席などの風通しの良い外

顔をあまり見られない隣同士

パンなどの軽食

カフェ

大皿から取り分けるスタイル

大人数

照明が暖かい色味

会話が盛り上がっている

緊張する条件

室内で対面

2人

定食など量の多いもの

レストラン

会話が少ない

自分はどんな状況なら食べられるのか把握して、ハードルの低いところから出来そうだったら挑戦してみる。

焦らず自分を大事にマイペースにいこう…🐌

わたしなりの向き合い方

人との食事の約束が近づいてきた時、不安や緊張、熱でも出てくれないかな?など何とか回避したい衝動に襲われます。

そこで最近こう思うようにしています。

「仕方ない」

諦めです。

大丈夫と言い聞かせるよりも、仕方ないと諦めた方が、きっぱり割り切れることに気づきました。

人とごはんを食べることに関して、あれこれ考えてしまうことが私の中のフォーマットで当たり前。

想像力が豊かすぎて、ごはんの約束がなくても、もしかしたら用事がすんだあと、ご飯行こうって言われるかも。と気づけば不安になっている。

会食の不安がない時でも、食べられない夢を見てしまう。

それほど私の脳に染み付いてしまっている思考なのだなぁと。

切り離すことはむずかしい。

不安になることを、諦めると一瞬でもスッキリします。

シャボン玉を指でつぶすように

「はい!今余計なこと考えてましたよ〜」

と、客観的な目線を持ち、不安な時間を少しでも短くしようと心がけています🪄🫧

とはいえ、またすぐに不安は襲ってきます。

😵あ〜不安

🧚‍♀️余計なこと考えてましたよー

会食が終わるまでこの無限ループです…

もうほんと仕方ないですね〜(笑)

さいごに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

“ 悩んでいるのは自分だけじゃない”

と、少しでも心が軽くなっていただけたら、嬉しいです。

私は『人と食べるごはんは楽しいな』と思えることを目標に、少しづつマイペースでご飯の場に足を運んでみようと思います😊

ありがとうございました‪(՞ . ̫ .՞)"‬