パッと見てものすごく抵抗感がある。抵抗感の根っこがなんなのかは置いておいて、アメリカってこういう表現が受け入れられるところがあるんだろうな、と思った。
映画「バービー」の冒頭のシーンを思い出した。赤ちゃん人形のお世話をして遊んでいた女の子たちが、大人の女性の形をした革新的なバービー人形が登場したことで、もう母親ごっこをせずに大人の人形で遊べる!という喜びと衝撃を表すために、それまで遊んでいたプリミティブな赤ちゃん人形たちを地面に叩きつけて破壊していく。
フェミニズム・コメディ映画としての意図はよく伝わるんだけど、愛らしい赤ちゃん人形たちを、それまで遊んでいた小さな女の子たちが破壊していくシーンはものすごい暴力に見えた。なんなら本当の子役にこれをさせるのは虐待では?という感じすらする。
そのシーンはキューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュだとすぐにわかるんだけど、キューブリックの映画では「猿が道具を生み出す」シーンなので納得感がある。というかそのまま「人間の持つ根源的な暴力性」の表現につながっているのでその通り受け取るだけ。
「革命的商品」をアピールするために、「それ以前のさまざまなツール」を破壊するというのはアメリカ的感覚なんだろうか。