映像表現がすばらしかった。カメラを習い始めたのでその視点から見ても楽しい部分がたくさんあった。作品の根底にあるフェミニズムが、コメディ的にも真剣にもしっかりと描かれていて良い。映画のジャンルが何故か「コメディ」になっていたが、笑うような要素はない。スラップスティック的な要素と皮肉に満ちたブラックユーモア。
映画はゴシック的、幻想的な部分が強調されているので、ところどころにある設定上の謎はあまり気にならない。
見ていて多少疑問に思った点はあったが、後から原作を読んだところ原作では全て回収されていた。原作は「実際にあったことである」という体で書かれているのでよりリアルな描写が多かった
見ていて気になった点と原作の回答(ネタバレあり)
バクスターが父親的すぎる。性欲という要素が抜かれ父性が強調されているので、「なぜ胎児を胎児のまま生かさずに脳だけ移植したのか?」という点への答えが「マッドサイエンティストだから」になっている
性欲が不在の理由について映画では「去勢されている」としてシンプルかしていた
しかし原作ではその設定はなく、むしろ彼にも性欲があり恋人になってほしくてベラを作り出したこと、なんらかの理由から性欲を強く制御ようとしていることが大きな問題になっている
原作ではそもそも脳移植手術は行われていない可能性が示唆されている
映画では、「2人目の患者」を作ってベラとは違うと嘆いていたシーンのバクスターの人間らしさ、所有欲の描写が、性欲がないという問題を補っているようにも見えた
原作には「2人目」はいない
マッキャンドルスが清廉潔白すぎる。理想の理系の夫で、ファンタジックすぎる
原作では大きなどんでん返しがあり、より現実味のある人物として描かれていた
こんな夢のような人物はいない、というのを示す原作のどんでん返しはやや残酷すぎるくらいだが....
映画では欠点のほぼないすばらしい夫であることから、精神も成長して会話が成り立つようになり再開したベラがあっさりと将軍についていってしまったシーンが不自然に思えた
結婚式に将軍が現れるシーンは必要だっただろうか?
将軍が出てくるシーンはカットして、ベラとマッキャンドルスの結婚式のシーンで幕を閉じてもきれいな映画になったと思う
それまで人間関係の暴力は暗喩されるのみで明示されていないのに対し、将軍の存在が暴力的すぎて違和感があった
映画より現実感のある原作では、全体を通じて色々な形で暴力性が描かれるので、総合してあのシーンは必要だったと思い直した
将軍のヴィクトリアに対する支配とネグレクト
ダンカンのベラに対する復讐心
バクスターのベラに対する性的関係の拒否
ベラのマッキャンドルスに対する侮りと無関心
マッキャンドルスのベラに対する理想化と怠慢
ラストシーンで将軍を手術した=「よりよくした」のはベラらしい行為だろうか?
動物にも人間にも自由な視点を持って接するベラは、ロボトミー的な行為を「よりよくすること」として扱っただろうか?
少なくとも原作では「人間よりも動物の方がよい」という考えははっきり否定している
原作では将軍は先が短く、いろいろなことに失望して自殺したことになっており、その方がリアルだと思った
ただ、原作のベラにも男性を去勢してしまうような恐ろしい部分があるので、それを盛り込んだ表現として納得することもできる
その他の感想
ベラの振る舞いが発達障害の特性に似て見えることがあった
実際に映画の中では「肉体と精神の発達に乖離がある人」として描かれているので当然
子どもの頃におそらく発達障害的な特性があったことで自分は嫌な経験をしてきたが、ベラは子供時代がないので他人からの暴力や暴言に対する恐怖がないように見えて新鮮だった
いくら上流階級で若くて美しくても、発達障害的特性が出ている成人女性に対して世間はもっと冷たく暴力的だと思う
私自身が暴力を受けた経験から、さまざまな部分で「そのような振る舞いをしたら相手から暴力を受ける」と身構えてしまうシーンがあった
原作ではロシアおよびウクライナのオデッサの港が一つの要地になっていたが、映画ではリスボンと存在しない幻想的な船上の風景に完全に置き換えられていた