差別がなくなる日ってくるんだろうか。恋愛ができなくて、セックスもしたくなくて、男女二元論に振り分けられない人間はこの世界ではいないことになっていて、どこからも浮いている気がしてきた。『道端葉のいる世界』風に言うと彼尾花であり、『多門さんのおかしなともだち』風に言えば嘘をつき続けて名前がわからなくなってしまった”きみ”。『しまなみ誰そ彼』の誰かさん。この社会の言語で形容できる何でもあるし何でもない、物語の中の近しい人たち。みんな”普通は”いないことになっていて、他の人がどう見るかによって誰でもあるし誰でもなくなってしまうみんな。見ようとしてくれる人がいる、つなぎとめてくれる人がいるからかろうじてその人の前では存在できているみんなたち。黙っていたら女に見える容姿をしているから、なんとなくそうされてきてしまっただけだ。最近嘘をつけなくなってきて、やっとノンバイナリーはトランスの傘の下にある(そう定義しない人もいる、感じ方は人それぞれ)ということが腑に落ちてきた私は、前よりも地面に近い位置にいられるようになってきたと思う。グラウンディングができるようになってきたのかも。ただ、地面に立っているということは浮いているよりもダイレクトに衝撃を受けやすいわけで、その分倒れる回数も増える。前まで(見たくないけどギリギリ)見れていたものが見れなくなっている。そして慣れというもので適応してきた差別に対しては押し返すのが難しい。自分事であればあるほど頭ではおかしいとわかっても、無意識に体が今までの再演をしてしまう。過剰適応をして傷ついていないふりをしたり、一緒に笑ったり、時には適応しようとするあまり同じ属性を差別する言葉に乗っかってしまったりする人もいると思う。そうしないと生きていけないから。誰かの差別心は他の人に伝播して、当事者の居場所や尊厳すらも奪っていく。こんなあらゆるものが連鎖して絡み合った構造の社会にある差別はいつかなくなりますか。いや、滅ぼさねばという気持ちはめちゃめちゃある。誰にでもマイノリティな部分とマジョリティな部分があるのと同じように、すぐに言い返せる問題とすぐに動けない問題がきっとあって、できるところからやるしかない。私は他の問題に比べてトランスやAroAceに向けられる差別への反応が鈍い自覚がある。ずっとそばにあったものを認識し直して切り返すのは難しい。他の人のことを考えたらそんなことも言っていられないけど、これまでの人生の中では自分がおかしいと思っていた時期の方がまだ長いので、自分を疑う方の考えがまず頭を過ってしまう。よくないと思いつつ、そう思わされる社会がまだここにある。あなたができないところを私がやるので、私ができないところをあなたがやってほしい。それまでなんとかなっていられるようにがんばるから。
そしてGIの診断をしてくれるクリニックを探しているこのタイミングで個人情報バチ漏れ法案が通ったのマジでカス。
っていうことを考えながら観た『スーパーガール』、ちょっと泣いた。