勉強のため、杉崎泰一郎先生の『修道院の歴史』の一部を要約してメモしています。
本格的に修道院が成立した4世紀は、禁欲思想が地中海地域を席巻していました。
実は禁欲思想はキリスト教など三大宗教固有のものではありません。キリスト教徒に厳しい政策を採ったため、「背教者」と呼ばれたユリアヌス帝も禁欲思想の持ち主で、生涯妻としか関係しなかったと言います。そういう時代背景もあり、キリスト教自身もユダヤ教のエッセネ派と親和性が高かったことから、キリスト教にも禁欲の波がきます。聖書にも、財産を手放したり、隠棲したり、禁欲生活を送ることを是とする文言が、「コリント人の信徒への手紙」を中心に「マタイ福音書」にもちょろりと記されています。
なぜローマが禁欲の波に染まってしまったのか、これは佐藤彰一先生の『禁欲のヨーロッパ』にヒントが書いてありましたので、いずれ。
禁欲の波が人々を襲う中、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認します。それによって、キリスト教は迫害を受けることがなくなり、以前のように虐殺されることもなく、残虐な殺され方をする必要もなく、信仰を隠して生きることもしなくてよくなりました。しかし、長い迫害の歴史の中で、私などのへっぽこは涙が出そうになるのですが、キリスト教徒たちは迫害こそが信仰の証明となっていました。けれどももう、信仰の証明を死によって立てる必要は無くなります。
そこで、禁欲生活を送り、隠棲し、ひたすら祈ることが、信仰の証明となっていきました。ちょうど4世紀ごろから、そういった人たちが増えてきます。
というわけで次回はアントニウスとか、パコミオスとか、修道院の成り立ちに欠くべからざる人材の働きをメモできたらと思います。