マンションのファンクションルームで、お正月のお祝いにと配られていた蜜柑。
持ち帰ってすぐに長男と私はぱくついてしまったけど、どうやらこれは「交換しあう」ことで福を回す縁起物だったらしい。ポトラッチ的なものだったのか。
おミカンだけでなく、中華圏(シンガポール)にもお年玉の風習があって、年長者から子どもたちへと真っ赤な封筒(紅包:アンバオ)が渡される。
福は渡しあうもの、循環させるもの。
もしかしたらポトラッチは、民俗学的には「誇示するための風習」だと説明されているけど、それは西洋的な目で観察されたからじゃないかな。
彼らにとっても富(福)は、循環させることでより大きく膨らんでいく、そんなイメージに重なるものだったのかもしれない。
受け取ってくれる誰かがいて、それをまた手渡せる誰かがいる。そうやって「私」ひとりじゃなく「私たち」というつながりを感じられることが、豊かさの本質なんじゃないかな。
アジアのお正月は、家族団らんの季節。それは「私たち」というつながりを実感できることを喜ぶとき。
実際に実家に帰るかどうかとか、身内と過ごせるかどうかってこと抜きにしても…私のくらしは、たくさんの人のくらしと結びついている。
私は、ひとりじゃない。
それだけで、とっても豊かなことなんだ。