カーテンの隙間から差し込む雷の光で、ときたまチカチカと部屋が明るくなる。今日は夕方から雨。今週は雨の時間がしばらく続く(南国お馴染みの激しい通り雨スコールではなく)しとしとした毎日。雨季ってやつなのかな。
朝、実家の母から「今日の最高気温は1度!常夏が羨ましい」とラインが来た。寒い日は羨ましく感じるだろうけど、母にはきっとこっちの「季節感の無さ」は退屈だろうと思う。
四季折々の…だとか、自然の移り変わり…だとか、そういう「手応え」がないから。もちろんカレンダーに応じてクリスマスツリーやら正月飾りがケバケバしいほど派手に飾りつけられてはいるんだけども。
南国の気質がおおらかでゆるいのは、気温が高いことよりもこの季節感の無さが関係してる気がする。変化(時間)に追われてないから、のんびり自分のリズムで暮らせる。
土砂降りのスコールは突然降り出すし、激しい雷雨があっという間にケロリと晴れちゃうわけだから、天気予報もあってないようなもの。
自然(の変化)を予測したり、先回りして準備するよりも、後手後手にまわっちゃったほうがスムーズなんだもの。雨が降れば雨宿りして、止んだら屋根の下からゾロゾロと解散。
もう冬!いつのまに春!秋!夏!とお決まりのように時の早さを言い合うことも、周囲の変化の早さに自分自身を擦り合わせようと忙しくすることも、あんまり必要ないもんなぁ、と思う。
私には、これくらいのスピード感が心地いい。かといってスローな感じでは全くないんだけども。熱帯の、エネルギッシュで濃密な時間間隔。
時間は「使う」「費やす」「無駄にする」ものになる以前(産業革命より昔の、資本主義的な価値観が浸透していない頃)は、「生きる」ものだった。
時間を、「生きる」。これは昨日読んだ本『<読む>という冒険』(佐藤和哉著、岩波ジュニア新書)で出会った表現なんだけども。
私はこの、雨季と乾季というシンプルなリズムの自然時間の中で、時間を「生きる」暮らしをしていきたいな、と思う。
雨に話しかけているベビー。4頭身の後ろ姿が愛おしい。