「あなたって○○だね」
この○○について、人生でいちばん言われたことある「性格」はなんですか。
私はおおよそ「真面目だね」と言われることが多い人生でした。
働いてたときは、社内の全国の営業さんと会う機会があって、それなりの人数と会えましたが
ひとしきり話すと
「真面目だね」
と言われる記憶があるので、いつも微妙な気持ちになったことを今でも思い出します。
(真面目という性質について、扱いづらそうな人も、感心してるような人も、いろいろいた。)
真面目の仕事
この「真面目」というのは自分からしても、良くもあり悪くもあると感じています。
こと仕事面では深堀は得意だけれど、仕事が遅いという致命的な欠陥があるわけです。
例えば1から10まである仕事を
1を覚えて、3,7そして10みたいに仕事をこなせる人を、私は尊敬しています。(元同僚とか)
私は、1から2,3,4,5,6,7,8,9を経て10にしかたどりつけないので。
前者のやり方は、仕事が雑に見えたり、誰かを困らせてたりしてることも、はたからみてるとあるけど、
成果ベースでは前者が確実にシゴデキなので、率直にすごいと思う。
一方、自分は容量の悪いやつだと今でもがっかりします。
真面目の学び
正直この真面目さはその良さより、要領と頭の悪さのダブルパンチの面が強い。
スポーツでいうと、筋トレとノック練に励んで試合練はなかなかしない、とか
Web制作でいうと、MDN Web docsを読むしJavaScriptのletとかconstとかきれいにノートにまとめてるし模写コーディングはするけどオリジナルサイトはなかなか作らない、とか
(これ何の時間?)
真面目を脱したい
この歳から性格を大きく変えるのは簡単ではないと思いつつ、
変えようと意識するのは無駄ではないと願って、
台湾華語学習ではどうにか、細部にこだわり過ぎない学習を進めていきたい。
尊敬する人の仕事のやり方みたいに、成果ベースで取り組んで、台湾華語を習得したい。
そう思いながらも、何日も何日も、声調と母音と子音を練習している矛盾…
真面目にしない台湾華語学習とは
要領良く成果を得た状態と、その手段を
とりあえず日本語なまりでも、言いたい中文が言葉にできて、伝わればラッキーという状態。
そのためにフレーズをたくさん覚える。
と仮定してみます。
飛び道具的な感じもするけど、間違った学習法ではなさそうに思う。
なせなら、うちの家族は数週間?数か月?台湾に行っていたときに、
「ジンジューナイチャ」「マイシャンホンチャ」でドリンクスタンドで注文してたというのだから。
フレーズが出る強さはそれなりにありそう。
それでも今日、がんばって練習した発音
工程師〔ㄍㄨㄥㄔㄥˊㄕ〕
がSuper ChineseでずっとOUT判定やったので、
ピンインチャートを使って、
ㄨㄥ
ㄍㄨㄥ
ㄥ
ㄔㄥ
とひとつずつ発音練習したら、今日はじめてOK判定になりました。
とてもうれしい。
でもあんまりやり過ぎる必要もないのかなと思ったり、どっちつかず。
“正しい”努力
毎日継続してもないし、1日に何時間も勉強してもないんで、その点では全く真面目な学習者ではないのですが。
じゃあその限られた時間、どんな学習方法を取るのか問題。
今から想像してるのは、ちまちま地道にやってる自分の台湾華語力を、
1,3,7,10的な要領爆良しな家族はささ〜っと追い抜くのだろうということ。
すでにつらい。🥲
つらい🥲と言ってるくらいなら、飛び道具的な感じはしても、フレーズ練習をがんばろうという話です。
先述の通り、自分の要領の悪さにはいつもがっかりする。
それよりも「目標設定」と「達成するための正しい努力」を欠いてきたことが、それと同じかそれ以上に、後悔が大きいと感じる。
目標、生活で使える台湾華語の習得。
正しい努力、フレーズに記憶力を割く。
これで現地に行って、私の中文があんまり伝わらなくても、やっぱ発音もっとやってたらよかったのにとなったとしても(もちろん落ち込むけど)、
自分に染み付いたやり方に拘泥せず、優先順位を意識して取り組んでみてよかったと思いたい。
さいごに:結局、発音はやる。
旅行者じゃなくて、住むからには、
雑な発音で聞き取ってもらおうという前提では、私の性格的には失礼な態度と感じる。
ので優先順位はあれど、現地に行ってからになるかもしれんけど、発音練習もちゃんとやります。
こういうことを言うから、「真面目だね」と言われてたなーと、いま書きながら思い出したりしました。