暗号資産を好きなワケ

もなか
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釣りタイトルから誤解されそうだが、「暗号資産がイノベーティブ」など主張する気はない。

「価値の保存(SoV)として適している」とか「無価値のマジカル詐欺コインだ」とか、そういうのは心底どうでもいい。

…世間的には、どうでも良くないのかもしれないけれども。この駄文では、距離を置く。

暗号資産は、そのように名乗るだけあって、技術的な支柱として、現代暗号論…つまり平たく言うと数学…に頼っている。

「答えを出すのは困難だが、出た答えを検算するのは簡単」

こういう性質の問題は数学の世界には結構あるらしく、暗号資産は、この手の問題を頻繁に応用する。具体例は省く。静かなインターネットに、数式は似合わない。

「多くの場合、人は形に見せてもらうまで、自分が何を欲しているのかわからないものだ」と言ったのは、スティーブ・ジョブズだったか、ヘンリー・フォードだったか。

誰が言ったかは、ウンチクだ。どっちでもいい。

ともあれ、たとえば、ヘンリー・フォードはクルマを、ジョブズはパーソナル・コンピューティングを、それぞれ大衆化した。

大衆は「自分はこれが欲しかったのだ」と気づく機会を得た。彼ら(および共鳴したエンジニアら)の多大なる助けを借りて、ついに、やっと。

量子力学を生半可に引用する哲学者は、ガチの物理学者から、嘲笑されイジられる。私は学部でポッキリ折れた弱者側ではあるが、物理学は専攻したので、その構図は理解している。

そのようなことは分かった上で。

「世間が自ら理解していない需要を、現物を示し理解させる」社会的な活動と「一方向性関数を駆使して、正しさを示す」という数学的な応用とが、なんとなく重なって見える、ときがある。

一般的な理解なら、全くの別物として扱われるだろう。わかっている。

私は 25 年前から「小規模組込みシステムでさえオープンソース化から逃れられない」といい、10年前から「設計開発環境は IDE 含めクラウドの上に乗る」と言ってきた。いまや「そんなん当たり前やん」だが。

人様に形を見せられる機会を提供できたかは怪しいが、提供できる機会や立場を探ってきたという、ちょっとした自負と葛藤は、ある。

そういった個人的な泥臭い日々を、あっさりと、純粋な数学の応用で解決しているようにみえる。ずるい、うらやましい。

私が暗号資産を好む理由は、このあたりにある、らしい。