ジェームズ・ロバートソン『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』

...
·
公開:2025/12/30

時に私は岩に背中を預けて寄りかかり、目を閉じてみた。一度は、そのまま数分ほどうたた寝をしたこともあった。もはや、異質なものとも不吉なものとも感じられなかった。私はあの岩が好きになっていた。そしてーー他に言い表す言葉が見つからないのだがーーあの岩も私を好きなのだと感じていた。(pp..219-220)

本書の主人公、スコットランドの小さな村に住むギデオン・マック牧師は、ランニングの途中で偶然その「立岩」をみつける。立岩とは、スコットランド地域で古い時代の人々が立てた石柱のことである。歳の離れた主人公の親友、考古学者のキャサリンによれば、19世紀、ヴィクトリア朝の時代にはすでにそのすべてが地図上に記載されていたという。ギデオンのみた立岩は、地図上そこに存在するはずのないものであるにもかかわらず、彼だけにはたしかにみえる。信仰を持たないまま牧師となった彼は、徐々にこの立岩に心囚われてゆく。

本書は、主人公ギデオンを中心として、ともに現代を生きる幅広い立場の登場人物たちが、神、悪魔、愛、死といったものをどのようにとらえ、それによって人生をどのように理解しているかという宗教的なテーマも扱っている。それら「目に見えないもの」たちが様々な形で言及されるなか、冒頭の「立岩」はそのもっとも印象的な存在となっている。

ギデオンは、信頼できる友人たちに立岩の話を明かし、はじめはそれをみてもらおうとする。頭ごなしに否定されれば、その存在を証明したいと考える。だが、岩に心酔してゆくなかで、段々とそんなことはどうでもよいことのようにも思えてくる。それは誰かと共有できようができまいが、理解されようが遠ざけられようが関係なしに、すでに自分のなかにあるものだからだ。

それは自分だけの甘い秘密である。村の外れ、森の奥からこちらをみつめてくる立岩ーーその存在を誰かに知ってほしいと思いながらも、同時に知ってほしくないという矛盾した思いを抱くようになる。

さらに、ある日ギデオンは事故で滝壺に落ちてしまう。三日の後に生還を果たすが、行方不明となっていた三日間、自分は洞窟の中で悪魔によって命を救われたのだと主張しはじめる。物語の前半部分、彼は誰かと信頼関係を築き上げていく社交性のある人物として描かれているが、事件後の主人公はもはやその悪魔や前述した立岩以外に関心がなくなってゆき、周囲から異端者として決定的に遠ざけられるようになる。

ただ、物語の焦点は世間との衝突それ自体にあるというわけでもない。この手記の中心にあるのは、あくまで主人公の内的な問いかけの過程である。事件を経て彼は、いっそうなりふりかまわず自分にとってたしかなものを追求してゆく人間となってゆく。以下の文章は、その先の破滅も予感させるが、

凧揚げとは、人に清々しい自由を感じさせる一方、お前は地面から飛び立てぬのだと思い知らせる、諸刃の所業である。凧は自分の一部であると同時にまったく離ればなれであり、まるで己の魂を長い糸に結びつけ、それを自らの命を宿す肉体に繋ぎ止めておくようなものなのだ。手を離してしまいたい誘惑に駆られて、当然のことなのである。(p.252)

この作品のいいところは、周囲の期待する道から大きく逸れてしまった人物の手記という形をとることによって、それを外側から肯定するわけでも否定するわけでもないという点にあるとおもう。このようなことが起き、このように感じ、そしてこのような道を選んだということをそのままに受けとめることができる。そのなかで、異端者とみなされうるような人物が、ただただ自分自身を主体とする人生の真実を貫こうと試みたに過ぎないのだ、という事実も浮かび上がってくる。

道を問いつづける主人公の手記を読みながら、そもそもこの世界に道はいくらでもあるのだ、ということをなぜだか私はひしひしと感じていた。そして、本人にとってたったひとつのものだとおもわれたことすら、たったひとつのものというわけではなかったのだということも。

大学時代からの友人、エルシーと主人公ギデオンは、世界の眺め方という点でたがいに期待をし合える関係だったのではないだろうか。二人きりのさいエルシーに岩の話をしたらどうだろう? とギデオンが想像するシーンは希望に満ちあふれている。一方、法律上のパートナーであるジェニーとも、別の角度からギデオンは心を通わせており、物語を通じて、主人公のもつ様々な面にそれぞれ、通じあう誰かがいる。前述した考古学者のキャサリンはそのもっともチャーミングな例で、うまく手の動かない彼女のため、牧師である主人公が大麻を巻いてあげるエピソードはとても微笑ましい。

そのうちだれひとり立岩の存在を認めることはなかったという点で、主人公は孤独ではあったけれど、エルシーだけはうっすらとそれをみた気がする、とも言っている。人間は孤独に違いないけれど、それでもーーもしかしたら、と感じさせるバランスになっている。

自分にとって、胸が苦しくなるほど重要なことであるにもかかわらず、荒唐無稽としか言いようがないこと。それを誰かと分かち合えたら、いったいどんな気分なのだろうか。そう期待できる誰かがいるというだけで、もう十分ではないだろうか。その満ち足りたあたたかさを、読み終わってからなぜだかずっと感じている。

自分にはあまりかみ砕けず、もう少し考えてみたい点もいくつか残った。たとえば、繰り返し登場する、ロバート・カーク『エルフ・フォーン・妖精の知られざる国』という本の意味。あるいは、死にかんすること。父親の謎めいた「不死の運命」ということばや、キャサリンの信条について。

また、日本の都市部に暮らすものとしては、「渓谷」という地形へのイメージがとても乏しいのを読みながら感じた。渓谷のはるか下にむかって激しく川が流れ落ち、そこが洞窟になっているとあるが、この地形をどうしてもうまく想像できない。

私が最初にイメージしたのは、オーストリアの実験音楽プロジェクトSoap&SkinのMVに出てくる穴だったが、全然違うかもしれない。ただ、このMVについて検索したところ「水に飛び込む行為をモチーフに、これまで大切にしてきた生活に別れを告げ、新しい現実、新たなあり方へと飛び込んでいくことへのメッセージを込めた」とあった。これは、小説に対する私の感想とほとんど同じだとおもった。穴を覗きこんだときにやってくる期待感と恐怖の入り混じった感情は、この物語に抱くものと同じ種類のような気がする。

今回、BBCのBITESIZEというサイトについて知った。BITESIDEは、BBCが提供する3歳から16歳向けの学習支援用プラットフォームで、イギリスのカリキュラムに基づき、さまざまなオンライン教材が無料で提供されている。そのなかで、本書もコンテンツのひとつとして文学的手法や文化的背景などが解説されている。国語の授業のようなクイズが楽しい。

サイトによれば、本書はジェイムズ・ホッグ『義とされた罪人の手記と告白』という19世紀の小説を下敷きにしたものだという。この小説は日本語でも国書刊行会と白水社から出版されており、「読んでいて熱が出た」という感想も見かけるくらい、何やら強烈なゴシック小説のようだ。これも絶対に読んでみたい。

ちなみに、『ギデオン・マック』はかなり最近スコットランドで舞台化もされている。悪魔役と父親役の俳優が同一らしく、私はまったくそのようには読まなかったので興味深かった。また、全体としてコミカルな雰囲気に仕上がっているようなのも、原作を読みながら何度か笑ってしまった自分としてはちょっと気になる。

*アナーカフェミニストの高島鈴さんによる『There are many many alternatives. 道なら腐るほどある』というタイトルの連載があり、私はその内容はもちろん、このタイトルが大好きだった。道がひとつしかないようにおもえるとき、何度もこのことばを頭に思い浮かべる。