ーー食べることは、ただひたすらに生の特権であった
竜に食われた妹を助ける、というなんとなくの目的があるにはあるが、その深刻さにたいして、軽やかな「生活」がひたすら描かれていく。目的から離れていくことに躊躇いがない「目的的でなさ」ーーというか、この物語ではたぶん、「目的」のだいぶ手前に「生活」がある。
「食べる」とはどういう行為なのか、と話が自己言及的になっていく後半もスリリングだけれど、私にとっては、ただひたすらに生活そのものをみせてくれるような前半が印象に残った。
生活はつねに、ただそこにある。竜とたたかうときも、政治的な議論のときも、たがいにわかりあえなさを感じるときも。では生活とはなにかといえば、食べることであり、眠ることであり、衣服を繕うことであり、髪をほどき結わえることである。この作品はそういう感じをもっており、それはただ生活者としてあるということを応援してくれる。それは、ただ生きてみるということだ。
同時に、生活を整えていくタフさみたいなもの、「健康」てきなものへのあこがれと距離感とを感じたりもする。食べることがむずかしい人はいるし、好きでないという人もいる。明るく元気に、というのがどうしても好きになれない、私のような人間もいる。
ただ、この社会で生きる女性としてーーとくにエッセンシャルワークを経験したひとりとして、励まされることはたくさんあった。それはただの励ましを超えて、革命的ななにかのようにも感じた。生活の復権、ということばが何度もおもいうかぶ。
こう生活、生活というとなぜか保守っぽくなるのだけれど、私にとっては革命的ななにかが、そこには含まれている。それらはどうちがうのか、まだうまく説明できない。