「ケセランパサラン」
夜道で毛玉を拾った。
真っ白な……キーホルダーとかストラップにありそうなふわふわのやつ。
そいつを拾った時、俺の手の中にすっぽりと収まった。
手の中でモゾリと動いたような気がして、俺は慌てて手を離した。
地面に落ちたそいつは、動かなかった。恐る恐るまた手に取ってみた。
動かなかった。
でも妙に温かく、作り物のおもちゃにしては肉の詰まった重量感とでもいうか、毛の下の皮膚の弾力とかそんなものを感じることができた。
生き物なのか?
手も足も耳も目も見当たらない。ただ白いフワフワがあるだけで……。
試しに撫でてみると柔らかくて気持ちよかった。
持って帰って紙の箱に入れた。つついてみても、何も反応を返さない。
でも生きている感じがする。だから捨てられなかった。
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「きっとケセランパサランですよそれ!」
興奮気味に会社の後輩が言った。
「ケセラ……?」
「はい。飼ってる人に幸運を運ぶと言われているんです。見付かること自体がとっても珍しいものなんですよ」
妖怪好きの後輩の言葉を聞き流しながら、俺は手の平の上でケセランパサラン(仮)を転がした。
相変わらず微動だにしない。
「で、何食べるのこれ」
「箱の中で何年も飼ってた記録もあるから、別に何もいらないんじゃないですかね? 一説によるとお白粉を食べるそうですけど」
「ベビーパウダーじゃだめ?」
「うーん、今の化粧品じゃ化学物質とか入ってそうだし……」
後で昔のお白粉が売ってるかググってみよう。
とりあえず帰ったら箱の隅に小皿に水を置いてやることにした。
帰って来て覗くと水が減っているような気がしたが、単に蒸発しただけかもしれない。
数日後、いつものように仕事を終えて帰宅すると、紙箱の中から小さな声が聞こえてきた。
「ぴぎゅっ!」
急いで蓋を開けると、そこには白い綿毛が増えていた。
…………分裂?
聞こえてきたと思った声は、その後はうんともすんとも言わなくなった。
寝てんのかこいつ? しばらく観察していたが、動く気配はなかった。
翌日になると更に増えていて、気づけば5匹になっていた。
さすがにこれ以上増えたら紙箱に入りきらなくなると思い、段ボール箱に増えた分を移し替えてやった。
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やがて毛玉は、毎日少しずつ増えていった。
その頃から俺は、だんだん仕事でミスをするようになっていった。
部屋には白い毛玉が増えて行った。
「先輩最近調子悪いですね」
「あぁ。ちょっとな」
「大丈夫ですか?」
「うん、まあ何とか」
心配してくれる後輩に笑って返した。
ある日、上司に呼び出された。
「お前、やる気あるの」
「いえ、あの……すみません」
「謝るくらいならちゃんとしろ。この忙しい時に」
「はい……」
仕事がうまくいかなくなり、家に帰れば増える毛玉。
この頃には段ボールからも溢れだし、部屋の中はまるで雪山みたいだった。
「幸運を呼ぶ生き物じゃなかったのかよ……」
何でこんなことになったのか。
俺は唯一の陣地となっていたベッドに倒れ込んだ。
「もう嫌だ。全部捨てちまいたい……」
その瞬間、急に体が重くなった。
起き上がれなくなってしまい、必死にもがいた。金縛りという奴だろうか。
誰かに押さえつけられてるみたいな感覚だった。
俺は疲れていた。
幽霊だか何だか知らないが、
「誰だよ! 出てこいよ!!」
その時だった。
ドスン!という音と共に、天井から足元に何かが落ちて来た。
それは、俺と同じくらいの大きさの毛玉だった。
そいつがもぞもぞ動いて、ゆっくりと目を開けた。
淀んだ真っ黒な瞳だった。
ああ、これは俺だ。
それがだんだん近付いて来て、真上に覆い被さった時、俺は意識を失った。
携帯の着信音で目を覚ました。
時計を見ると夜中の2時。
親戚のおばさんからだった。
「お母さんが倒れたのよ!」
それからのことはあんまり覚えていない。
病院に駆け付け母を看取り、通夜の準備だとか葬式の喪主だとか、分からないことだらけで、気づいたら全部終わっていた。
そして戻って来た部屋に一人きりになり、白い毛玉の重みに埋もれながら、俺は生まれて初めてぐっすり眠れたのだった。
もういつくるか分からない母親の電話やメールに怯えなくていい。
幼い頃から頭の中に四六時中常に繰り返されてる罵倒や否定も、もう気にならなかった。
朝になった時、周りには何もなかった。
「あいつらどこいった!?」
慌てて最初の一匹の箱の中を覗いたが、そこには何もいなかった。
「えぇ……マジか」
あれだけいたのに。一匹もいない。
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数ヶ月後。
「先輩、新しい職場でも頑張ってくださいね」
「ありがとう。頑張るよ」
「ところでどうなりました、あれ。ケセランパサラン」
「あれなあ、いなくなっちゃったんだよ」
「そうなんですか? 残念だなぁ。増えたんなら一匹くらいもらえば良かった。……飼ってて何かいいことってありました?」
「ああ」
俺は晴れ晴れした気持ちで笑顔で答え、さらに一年後、白い毛玉の消えた部屋を後にした。