
04 溝の淵の決闘 〜僕がママを守るまで〜-妄想散歩-
トンネルを抜けた先、まばゆい光に包まれた一本道を私は歩き続けている。
道の脇には細い農業用水の溝があり、さらさらと流れる水の出どころは、さっき猫たちが決闘を繰り広げていたあの池だ。
正面に目を向けると、ヨチヨチ歩きの幼い男の子が溝の脇を進んでいる。そのすぐ隣には、お母さんが溝への転落を心配そうに、だけど愛おしそうに見守っていた。
ふと、子供が足を止め、溝の中に何かを見つける。すかさず足元の小石を拾い上げると、水面に向かって投げつけ始めた。
勢いよく振り上げた大げさなフォームのわりに、小石はちっとも飛ばず、ぽとりと自分の足元に落ちる。
「可愛いなぁ」
私は微笑ましい親子に心の中で目を細め、すれ違いざまにお母さんへ軽く会釈をして、そのまま通り過ぎた。
田んぼに挟まれたこの道は、強い日差しを遮るものが何もない。ジリジリと肌が焼かれ、首にかけたふわふわのタオルが吸いきれないほどの汗が吹き出してくる。
「スマートウォッチの歩数も稼げたし、もう少し歩いたらどこかで休憩しよう」
そう思った時、背後から「うわあああーーーん!」という、あの子供の大きな泣き声が響いてきた。
「やれやれ、この暑い中、お母さんもあやすのが大変だ……」
私は心の中でそう同情しながら、足早に立ち去っていった。
――だが、私が見ていた「のどかな親子の風景」の裏側では、世界を揺るがすほどの壮絶な熱戦が繰り広げられていたのだ。
溝の淵の決闘 〜僕がママを守るまで〜
さかのぼること数分前。
ヨチヨチ歩きの少年(2歳)は、溝の中に蠢く「異形の怪物」を発見していた。
体長わずか3センチ。緑色の肌に、ぎょろりと張り付いた不気味な眼球。それは大人から見ればただのアマガエルだったが、少年から見れば、愛する母親の命を狙いに現れた「未知の巨大怪獣」に他ならなかった。
(あぶない! ママが食べられちゃう!)
少年は恐怖に震えながらも、本能的に「僕がママを守らなきゃ」と立ち上がった。彼は決死の覚悟で足元の小石(彼にとっては渾身の武器)を拾い上げ、怪物に向かって投げつけたのだ。
しかし、戦いとは非情である。
どれだけ大きく腕を振っても、小さな腕力では石は目の前にポトリと落ちるだけ。
一方、カエルもまた、絶体絶命の危機を感じていた。
目の前に立つ大巨人が、空から次々と巨石(小石)を降らせてくるのだ。カエルは卓越した身体能力で右へ左へと石つぶてを回避しながら、己の数千倍のサイズを誇る少年に向けて、強烈な眼光を放ち返した。
『ケロ……(小癪な巨人め、この私を舐めるなよ)』
一歩も引かないカエル怪獣。迫る恐怖。それでも少年は諦めなかった。
「えいっ!」「とおっ!」と言葉にならない雄叫びを上げながら、何度も何度も石を拾っては落とし、落としては拾い、怪物を威嚇し続けた。
その泥臭くも純粋な防衛戦に、ついにカエルが根負けする。
『ケロッ……(フン、今日のところは見逃してやる)』
カエルは静かに身を翻し、溝の奥深くへと去っていった。
怪獣は去った。ママは無事だ。
生まれて初めて、己の力で大切なものを守り抜いた「最初の勝利」。
しかし、張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、少年の中に溜まっていた恐怖が限界を超えて爆発した。
「うわあああーーーん!!(怖かったよぉ、でもママを守ったよぉ!)」
誇らしさと恐怖が混ざり合った大号泣。
そんな息子の壮大なバトルなど微塵も知らないお母さんは、ただ「石遊びに飽きて機嫌を損ねたのかな」と思いながら、大泣きする我が子を優しく抱き上げ、その頬をなでた。
「よしよし、びっくりしちゃったね。お利口さん、もう大丈夫だよ」
お母さんのセリフは完全に的外れだったが、少年の耳には「ありがとう、私の勇敢なヒーロー」と聞こえていた。少年はお母さんの首にしがみつき、誇らしげに涙をぬぐう。誰も歯車が噛み合っていないのに、そこには確かに、世界で一番強い母と子の絆が光っていた。
そんな映画さながらのドラマがあったとは露知らず、私はスマートウォッチの歩数が順調に伸びていくのを確認していた。
「よし、そろそろ4000歩か」
背後で聞こえる子供の泣き声を、すっかり遠くなった夏の風の中に聞き流しながら、私はタオルで汗を拭い、のどかな田舎の一本道をただひたすらに進んでいった。