バイトに遅れると焦って駆け下りようとした地下鉄の階段の、ちょうど一番上のところに人が立っていた。その人は何やら忘れ物をしたのかカバンの中身をゴソゴソと漁っていて、その横を迷惑そうに何人ものサラリーマンや学生が駆け下りていく。
僕もその例に漏れず、少し咳払いをしながら横を通り抜けた。この世に"立ち止まると他人に不快感を与える場所"ランキングがもしあったとするならば、きっと覇権争いも夢じゃないだろう。一体どんな神経をしているんだか。そんなことを思いながら、僕は階段を小走りに駆け下りてゆく。一歩一歩軽やかな足取りで段を踏む僕の足は、自然とその人が立っていた右側の方に寄りながら進んでいった。分かりやすく言うのであれば、空いていた左側の階段を真っ直ぐに降りれば良いものを、わざわざ右斜めに進みながら降りたということだ。何故そんな無駄な動きをわざわざしたかというと、僕はこの時、一瞬でこのよく回る脳によって妄想を膨らませたためである。
時刻は午前7時45分。次の東京行き快速電車は46分発。この間に合うか間に合わないかの瀬戸際という状況下においては、大半の人間は心の中で舌打ちをしながらも、その迷惑人間を無視して通り過ぎていくだろう。しかしもしかすると、駅という数多の人間が集まる公共的空間においては、その不純物を排除する方向に突き進んでしまう愚か者もまた存在するかもしれない。僕の妄想の中では、僕がたんたんたん、と3段ぶんを小走りで駆け下り、ちょうど階段の右側に自身の位置を定めたタイミングで――横柄な老人が階段半分占領男を突き飛ばしたのである! その瞬間、男の身体はまっすぐ僕の身体に倒れ込んできて、僕もろとも地下鉄のホームに真っ逆さま。打ち所が悪かった僕は、懸命な救助の甲斐もなく享年18で御陀仏というわけだ。数時間もすればネットニュースには「不慮の事故に巻き込まれて亡くなった不幸な少年A」として、僕の概要的情報のみが世界中に伝播していく。バイト先のパワハラ店長は時間通りに来ない僕に苛立ち、説教の内容を既に脳内で構築しているだろうけれど、僕が死んだと聞き目に見えて動揺をすることだろう。今朝方、恥も外聞もなく怒鳴り散らして僕の「行ってきます」を聞こうともしなかった母親は、救急病院からの電話で自らの幼稚な行動を一生後悔することになる。
あゝ、何て美しく清らかな死に方なのだろう! それなりの衝撃や苦痛はあれど、自分に降りかかる非がほとんど皆無というのはあまりに魅力的である。この死を完遂することができれば、僕は至極正当な理由を以て、今後の人生で何度も繰り返すはずであった出勤や帰宅という行為を全て回避することができるのだ。
――数秒後、僕は何事もなく最後の段に到達した。ちらりと最上段を見上げれば、未だ忘れ物男はカバンに手を突っ込んでゴソゴソやっているし、その横を何十人もの人間、人間、人間、人間が通り過ぎていく。
僕の神頼みの自殺計画はまたもや未遂に終わった。しかし、僕の辞書に「諦め」の文字はない。これからもこの胸に偉大な志を抱き続けながら、次の奇跡的瞬間を心待ちにしていよう。そう心の中で独り言ちた僕は、人のゴミに紛れながら改札を通り抜けていった。