「読んでみてはラジオ」のオフ会に参加して本の話をしたら楽しかったので、最近おもしろかった本を 3 冊ほど紹介してみる。
川上未映子『夏物語』

https://www.amazon.co.jp/dp/B09B9WH16G
川上未映子は文章が上手いと思う。作中の、遊佐リカの台詞が印象的だ。
「当たりまえだけど、文体ってのは作るもんなんだよ。んでそのときに大事になってくるのが、耳のよさなんだわ」
「耳の良さ」が、川上未映子の筆致にも良く表れている。関西弁も織り交ぜながら、気持ちが昂るときは一息に、そうでなければ気持ちの良いリズムで音が編まれる。このリーダビリティの高さが、彼女の作品の一つ大きな魅力だろう。
本書は 2 部構成で、前半は(もうほとんど記憶がなかったが)『乳と卵』のリライト。緻密な構成にコミカルな筆致が相まって面白い。卵を割り合う最後のシーンは圧巻で、どうしようもなく運命的に背負わされた女性の窮屈さ・生きづらさから解放されようともがく姿に胸を打たれる。
後半は、そこから 8 年後。小説家としてデビューした夏子は、どうしようもなく自分の子どもに「会いたい」と想い始める。しかし結婚もしておらず、パートナーもおらず、ましてやセックスに対して嫌悪感を持つ彼女が子供を産むためには、AID に頼るしかない。彼女はなぜ自分が子どもに会いたいのか、AID で産むとはどういうことなのか —— 様々な人と関わりながら、彼女は自分の心と向き合っていく。ほぼ 3 人しか登場しない前半に比べて、後半は男性も加わって、世界に向かってひらいていく展開だ。
ここで彼女の支えになるのが、前半に出てきた家族の巻子であり緑子である。一時期の豊胸騒ぎもなんのその、逞しく生きる彼女たちの愛おしさったら!出番こそ少ないものの、なんだか泣きそうになってしまう。
終盤、夏子が幼い頃に住んだ海辺の街に戻り、逢沢と会うあたりはややドラマチックしすぎやないかと思ったりするのだけど、読んでいて胸にくるものがあって息を潜めながら読んだ。
このドアがひらけば、もう一度会えるかもしれないとわたしは思った。もう一度、会えるのかもしれない、ランドセルを背負ったわたしが階段を上がってきて、そしてなかからドアがひらいて、赤いエプロンをつけた母がおかえりと言うのかもしれない。いまもしこのドアがひらけば、あの白いトレーナーも、あの人形もランドセルも、みえるのかもしれない、笑ったこと、眠ったこと、みんなで囲んだ小さなこたつも、柱に刻んだ身長も、みずやのなかのプラスティックの赤いコップも、いまなら塞がれていた窓をあけて、もう一度、見られるのかもしれない、会えるのかもしれない、起きない、そんなことはもう起きないのはわかっていたけれど、それでもわたしはドアを叩きつづけた。
とても長いけど、登場人物たちに愛着の湧く良い作品だと思う。
辻村 深月『傲慢と善良』

https://www.amazon.co.jp/dp/4022650591
久しぶりに辻村深月の作品を読んだけど、これは面白かった。もともと心理描写や「身に覚えのある感覚」を炙り出す、描くことに定評のある作家だけど、特に第一部ではその筆力が遺憾なく発揮されている。
全体の構成としては、前半は恋愛ミステリー。主人公の架は、失踪した恋人である真実を追って様々な人に出会い、自らの傲慢さや彼女の善良さ(この作品では「善良さ」は「自分で考えられない・決められない」という意味もある)に気付いていく。読者である自分にも当てはまるところが多く、この意地の悪さというか、刺さる感覚が朝井リョウ的でもあり、一方でミステリー的な展開は作者の面目躍如といった感じで、巧みに読ませる筆力には唸るものがある。僕は男なので架の傲慢さは理解できるし、一定の歳を重ねると、それまで抵抗があった「結婚」という責任を背負いたくなる気持ちも分かる。
ところが後半はいつもの辻村深月が戻ってくる。視点は真実に切り替わり、被災地でのボランティアを通じて、傷付いた彼女の心が癒されていく。抑圧され、自立できなかった女性が、成長していく。最後はハッピーエンドで終わるというのが辻村深月の定番の着地点だけど、本作も前半からは打って変わって鮮やかに一人の女性が回復していく様が描かれている。
少し納得いかなかったのは、最後の架の決断。「鈍感だから」で片付けられるようなものなんだろうか。自分の物語に酔ってしまっているところはないのだろうか。
それにしてもグサグサと刺さる台詞のオンパレードで、なるほどこれは賛否両論よく売れるだろうなと思った一冊だった。
孤独な恋が似合う、とか書いてたよね。孤独な恋ってなんだって話だけど。マイナスのことを書く時でさえ、自分のことを『似合う』って言葉で肯定するような、そういう子だよ。自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない。諦めてるから何も言わないでって、ずっといろんなことから逃げてきたんだと思う。
リチャード・P・ルメルト『戦略の要諦』

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CNSWLW1Y
痛快。そして耳が痛い。
本書が徹頭徹尾主張し続けていることは「耳障りの良いミッションやビジョンに逃げるな。数字目標を設定して満足するな。それらは実現方法を教えてくれない。目の前の課題に向き合って、どうにかして解決する方法を見つけ出せ」である。かなり分厚い本だが、本当に、ほぼそれしか書かれていない。裏を返せば経営幹部が戦略を紡ぎ出すことの、なんという難しさか……。
たとえば、リーダーには「ミッションを掲げ、それに基づいて一貫した意思決定をすべき」「長期的で壮大な構想を掲げなければならない」などといった誘惑・あるいはプレッシャーがある。しかしミッションやビジョンが有効だという証拠はないし、戦略策定の指針になるわけでもない。ましてやミッションは不変ではない。多くの会社では、環境変化・経営者によってミッションが変わるものである。そしてこれらは実現方法を教えてくれるものではない。
そんな誘惑には負けず、ただひたすらに課題に向き合い、戦略を策定し、そこから演繹的に目標を設定すべきである。本書で書かれているのはひたすらそういうことなのだが、これは昨今のパーパスブームに対する警鐘とも取れる。
個人的には、エンジニア出身らしくミッションやパーパスの必要性には疑問を持ってしまうタイプなのだが、とはいえそれ無しに論理的な課題解決ばかり話していても組織を動かすのは難しいので、結局のところ「どちらも重要」という結論になってしまう。ただ、本書に書かれている「ミッション・パーパスなどの壮大な指針策定に逃げるな」という指摘には、力強く背中を押してもらえた気がするのであった。