今年から CEO になった。諸事情あり突然の就任だったので、特に準備が出来ていたわけではない。いちエンジニアとして入社した自分が CEO になるなんて想像もしていなかったし、向いているとも思っていなかった。ただ事業をどうにかしたいというという気持ちがあっただけだ。
11 月中頃に CEO になることが急遽決まり、年内に従業員に向けて発表する必要があった。合わせて取締役会にも今後の方針を説明する必要があり、とにかく昨年末はバタバタしていた。折角やるなら自分が信じられるチームをつくる必要がある。急ピッチで経営体制の変更も進めたが、この過程では気の重い対話もあった。ここまでやるからには結果を出さなければと、ずっと気が張り詰めていたと思う。
年が明け、いよいよ CEO としての業務が始まった。これまでと全く違う仕事も増え、会食をはじめ外部の人と話すことが劇的に増えた(なにしろ僕はコミュ障なのである)。さてどうなることかと思っていた事業の方は、幸いにも大きな未達を繰り返していた事業の立て直しが順調に進み、過去最高の売上を記録している。昨年末に集中的に事業課題を整理し、執行体制を整えた結果ではあるが、まずはホッと胸を撫で下ろしている。新任 CEO の最初の仕事としては、最低限の役目は果たせたのではないだろうか。
しかし、どうも最近の僕は悩んでいる。書きながら少し整理してみたい。
自己変革が必要だ
新しい職務に少しだけ慣れて、(勿論まだまだではあるのだけど)足元で成果が出始めたのをきっかけに、この 1-2 ヶ月ほど、自分の中でモヤモヤとした気持ちが湧き上がるようになってきた。それが何なのかしばらく分からなかったけど、今はその気持ちに名前をつけられる気がする —— 多分この感情は、「焦り」なのではないだろうか。
「焦り」を分解すると二つに分けられる。一つは、「もっと会社を成長させるためのビジョンが描けていない」という焦り。もう一つは、その状況を変えるには「今のままの自分ではいけない」という焦燥感だ。そしてそのいずれにも、「自分は本質的には CEO に向いていないのではないか」という疑念と自信のなさが付きまとっている —— この構造を理解したのがつい最近である。
前者は分かりやすい。足元では会社の業績は好転したし、まだまだ成長させられるという自信は持てている。CEO として最低限の責務を果たせている気がしている一方で、明確な中長期的ビジョンは見えないままだ。5 年後・10 年後に日本を代表するサービスになるにはどうすれば良いのか —— 目線は少しずつ中長期に移りつつあるが、まだ視界が晴れていない。なにしろメディアを取り巻く環境は厳しい。たとえば Business Insider は過去 5 年で半分のトラフィックを失い、2022 年に 1,000 人いた従業員も半分以下になる見通し だ。
この状況で、メンバーがワクワクする明るい未来を描くのはとても難しい。僕たちが営んでいる事業にはとても社会的な意味があると思っているけれど、悠長なことを言っていたら生き残れないだろうし、株主もそれを許してくれないだろう。歴代の CEO たちも明確なビジョンを打ち出せずに苦しんできた。ますます環境が厳しくなる中で、僕自身も悩んでいる。
だからこそ、これまでの自分や経営チームにはない新しい発想を取り入れる必要性がある と感じている。外に出て様々な人たちと話し、自分たちの限界を超えた挑戦を生み出さないといけない —— そんなことを考えている中で問題になるのが、CEO としての自分に自信がないこと である。自負はあるが、厚かましく他人の時間をもらえるほどの自信はない。何しろ僕はエンジニアだったし、事業開発の専門家でもなければ、創業者でもない。CEO になって半年だし、この間に誇れるほどの成果を出したわけではない。そして何よりも、欲がない。内発的な動機が圧倒的に不足しているのである。これが「CEO としての自分」に自信を持てない一番の理由になっていると感じている。
ビジョンを描けない CEO は失格か
わかっている。勿論これは呪いだ。リーダーはこうあるべし、経営者はこうあるべしという、良くある呪い。しかし CEO として全ての責任を引き受けたことで、思った以上にこの種の呪いに囚われることになった。
たとえば、ビジョンを描けていない CEO は失格だろうか。先述した通り、僕はまだ中長期的なビジョンを描き切れていない。正確には、描いたビジョンで事業を伸ばせるという自信が持ちきれていない。解像度も、具体化の粒度もまだまだ荒い。「そんな CEO は失格である」と感じるのは、僕のイメージする "CEO 像" が創業者だからだ。自分の情熱を具体化して、メンバーを導くビジョナリー。それが僕にとっての "CEO 像" になっている。
しかし、これは冷静に捉え直す必要がありそうだと、最近は思っている。
いま思い返すと、創業者もそんなに壮大なビジョンは語っていなかったのではないか。特に晩年になるほど、ビジョンや戦略も具体化されていなかったことに気付く。もちろんサービスの構想を思いつき大きく成長させたのは疑うことなく創業者としての圧倒的な功績であるが、彼が今の組織規模で(創業者ではない立場として)CEO をやれるかというと分からない。組織の規模は当時の数倍になり、事業も大きくなっている。何よりも、彼のリーダーシップは「創業者」であったことにあまりにも強く由来していた。僕とは事情が異なる。
僕は彼と一緒に仕事をして本当に楽しかったけど、互いに補完関係だったからこそ、理想的な "CEO 像" として美化してしまっている面はありそうだ。
彼が魅力的な CEO 足り得ていたのは、「能力」ではなく「実績」に対する信頼が大きかったからではないか —— この人が言うなら信じようという、絶対的な信頼。当時は彼を中心として、自分が考えもしなかった新しい取り組みが次々と実行された。それを「ジェットコースターのようだ」と感じていたのを思い出すが、「変化」を生み出し、結果に繋げ続ける CEO だったからこそ、僕たちは彼についていったのだ。
欲のない人間は CEO に向いていないのか
創業者としての実績と信頼貯金。それらによってスピーディーに変化を起こし、結果を示し続けてきた彼に比べると、自分は創業者でもないし、まだ何の実績もない。だから自信を持てていないというのはあるが、もう一つ大きな課題がある。「内発的動機の不在」である。
僕はどちらかというと外的な要因に駆動されやすいタイプの人間である。責任感は強いし、課題を解決したいという欲求がモチベーションになりやすい。一方で、内発的な動機は相対的に弱い。特に「社会をこうしたい・こんな変化を起こしたい」という欲求は強くない。もちろん「社会をより良くしたい」から今の会社に入社したし、その想いは全く変わっていないが、まだその迫力は足りていないと自覚している。
これの何が問題か。そもそも、そんなものがあれば事業アイディアはこんこんと湧いてくるのではないかというのが一つ(これは呪いかもしれない)。もう一つは —— こちらはより直近で困っていることだが —— 欲がなければ、他者と話しても Give できるものがあまりない ということだ。自分の中に欲や仮説があって、それを他者にぶつけることで初めてクリエイティブな議論ができるようになり、面白いと思ってもらえるのではないか —— このところ外部の方々と話すことが増える中で、そんなことを強く感じている。
CEO としての役割を果たす
ここまで書いてきて改めて自分の頭の中が少し整理されてきた。つまり、僕は創業者でもなく、まだまだ実績もない。そして、それだけでなく「社会をこうしたい」という欲や仮説が不足しており、他者と話すことに気後れしてしまっている。だから CEO としての自信を持てていないようだ。
この不安は、実績を積み上げることで自然と解消されるだろう。どうやら僕の「能力」の問題ではなさそうだ。ただし、「社会をこうしたい」「事業をこうしたい」という仮説はもっと明確にした方が良い。それは他者と話すときの自信になるし、メンバーの補助線にもなる。クリエイターの内発性を尊重しながら、経営者として補助線を引くのが CEO の仕事だとすれば、僕はまだまだそれが出来ているとは言い難い。