ここ 3 日ほどワンオペが続いたのでなんだか疲れているのだが、合間合間に小説を読んでいた。
いま思うと不思議なのだが、若い頃は本当に小説をよく読んだ。小学生の頃から暇さえあれば読んでいたし、勉強と無縁で暇を持て余していた高校生や大学生の頃は、1 日 7 冊ぐらい読んだ日もあった。読書ブログも長く続けた記憶がある。社会人になってから読書量は一時的に減ったものの、仕事に慣れるとまた増えるもので、大体週に 2~3 冊は読み続けていた。
ところが子供が生まれると、さっぱり小説を読まなくなってしまった。物理的に時間がとりづらいのもあるのだが、なんだか読みたいモードにならない のである。気がつけばかつての読書への情熱は静かに消え去り、ドラマや漫画のような手軽なエンタメに目を向けるようになっていた。これはもしかするとリア充ってやつかもしれない。あの恐ろしい、死に至る病だ。あんなに小説の世界に逃避していたのに、もしかして俺の心は満たされちまったのか。お前、そんな奴じゃなかったよな!・・・どこかから怨嗟の声が聞こえてくる。俺だって信じられねぇよ、お前とは長くやっていくつもりだったんだからさ・・・。
脱線した。そんなわけで、いまや月に 1~2 冊読むかどうかの読書量だけど(大体お風呂に入りながら読んでいる)、まぁ、あんまり心配はしていない。多分そのうちまた読み出すだろう —— などと考えていたのだが、しばらく妻が不在で子供と二人きりになると、ふとした時間になんだか急に小説を読みたくなったのだった。やはり小説を読むには孤独な時間が必要なのである。
ただ、新しい小説を読む気分ではなく、昔の青春小説が読みたい気分だった。僕の中で青春小説の金字塔は(とてもありふれた選択で申し訳ないが)『グレート・ギャツビー』や『赤頭巾ちゃん気をつけて』シリーズである。他にもありそうだが、パッと思い出せない。書棚から取り出し、子供が寝ている間にせっせと読んだ。

『グレート・ギャツビー』はいくつか翻訳されているけど、やっぱり村上春樹訳が好き。僕は原文を読んだことはないけれど、彼が訳したスコット・フィッツジェラルドの文章は本当に美しい。特に最後の一節は、何度読んでも胸に染み入るものがある。
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
来年は、古い小説を読み直す年にしようかな。