「憧れているだけではダメなんだ」
常々そう思っている。この世で生きている限り、自分の「心の師」と言える人が必ず居るものだろう。
師ともいかないにしても「憧れている」という方が多いのではないだろうか。
私にも憧れている人が身近にいる。絵や漫画小説をはじめとするプロアマ問わず創作をしている方、生き方や考え方で感銘を受ける事も多い。
しかしだ、「憧れている」という言葉に自分で自分を縛ってしまう事もあれば「憧れている人が凄い人だから、自分にはできない無理だ」と思う事もある。
余程、卑屈になっている時でないと「自分には無理だ」と思わないのだけれど今現在。どうやら私は「自分には無理だ」と思っているらしい。何故、そう思うのか。
「やっぱりすごいな」と思う事が多かった。
まず、フレンドさんに撮ってもらったワンシーンSS。撮ってくれた本人は「グラフィックボードが良いからだよ~。」と言っていたけれどそれだけでなく構図、どういう風に撮りたいのか、イメージの伝え方等々が分かりやすかった。
撮影できたSSも「こういう風にイメージしていた」等もあって発想力が流石だと思った。
他にもフレンドさん達と行ったフィールドワーク。
カストルム・オクシデンス→レヴナンツトール→イディルシャイア→カッターズクライ、それぞれの場所での「実はここってね」の設定のお話や「ひょっとして、これは」と言った考察会。
探せば資料はいくらでもあるとしても、ただ二人の発想なんかに圧倒される事が多く、話を聞くことに徹しようとした。
どちらも、フレンドさん達の「今まで」があるからこそ活きている事なんだなと、頭では分かっていても自身の心は「自分はまだまだだな…」と少々凹んでいる。
だからと言って嫉妬や羨望、劣等感を抱くにしても「やらなかった自身に問題がある」と事実を叩きつけられるだけだ。
こういう時によく読む作品がある。
(こちらの作品は元はライトノベルなのだけれど、イラストレーターご本人がコミカライズを担当するという異例の短編集作品である。)
この作品2巻の1話にある「ウィーク・アビリティ・トラック」をよく読む。
ざっと説明すると、この作品での主人公である「ニーナ」とその仲間達が結成している小隊に、1年生の「レオ」という子が「小隊の練習に混ぜて欲しい」と願い出る。理由としては「強くなりたい」というもの。(すごい要約するけれど。)
そこからアクシデントがありながらも、1週間ほどレオ君はニーナ達の練習を「見学」している。
練習に誘っても「いえっそんな、僕なんてまだまだっ無理ですよ」と断ってしまうのだ。
この話は「強い人間に対する嫉妬、羨望、劣等感。弱さを言い訳ではなく、糧として前進しよう」というものだ。今のウジウジしている自分に渇を入れてくれる。
プラスアルファを忘れない。
ただ「よし、気持ち切り替えていくぞ」だけではなく、ここで自身にプラスアルファをしたい。
フレンドさんや他の人の作品や発想から、なにを感じたのか何を学んだのか。研究をするのを忘れない。
例:絵や漫画、SSなら?→構図の意図、ライティング、取り入れた要素は何か?
凹んでいられないんだな~。よし、やろうか。