私Kは趣味の範囲ではあるが、絵や漫画を描くのが好きで、描いたからには誰かに見てもらいたい欲がある。もちろんPixivやポイピクも利用している。しかし、リアルタイムでの反応にも期待している自分が此処にいる。承認欲求なのも重々承知しているし、だからと言って素晴らしい作品を描けるのか読む人を飽きさせない程、筆が早いのかと言われたらNO。
創作も「こだわり」があるのかと聞かれると、口にするには少し恥ずかしい面もある。「何を伝えたいのか」をハッキリしないまま、ハッキリ言わないまま今日までぼんやりと描いていた。
グダグダと書いているが、要は「自分の描いたものは他所に行っても人に見て貰えているのか」が不安なのだ。人数が多ければ多いほど「自分は描かなくてもいいんじゃないかな。代わりなんていくらでもいる」と、思ってしまう。
しかし昨今、絵を「自分が褒められる為の目的にするのはやめよう」と考えを改める出来事に度々出くわし、年齢も体力も限界はあれど、できる範囲で「絵や漫画を描きたいな」と思い地道にまた描き始めている。
自信を持つ為とまではいかないけれど、改めて創作の「こだわり」や「傾向」を考えてみたい。
同一存在または反転存在
私が単体でキャラクターを好きになる事が多く、そこから「自己の闇の部分からヒトは成長できるのではないか、無くすのではなく受け入れ認めることができるのではないか」という考えから行きついたもの。
命の限り叫び、戦うシチュエーション
恋愛モノや日常モノも好きなのだけれど少年漫画で育った事もあるのか、穏やかな風景よりも拳で語り合う風景の方が好ましく思えてしまう。
異性同性に関係なく「相手を想う」(恋愛よりもパートナー傾向)
愛の形はそれぞれなのだけれど所謂、分け隔てない関係でありたい。「男性から女性に話しかけたから、この二人は恋人!!」と言うのが苦手。(逆も然り)平等に仲良く描きたい。
私は少年漫画が好きではあるけれど、主に少年漫画の中で描かれる「少しBLのように見える友情や、ちょっとしたやり取り」が好き。
CLAMP先生方の「X」や「ANGELIC LAYER」、大久保篤先生の「B壱」「ソウルイーター」。七海慎吾先生の「KAMUI」等を学生時代によく読んでいた。(リンク先はBookLive.)
「BLは好きなのか?」と聞かれたら学生キャラのほんのり甘い空気よりも、やや刺激的な敵同士の方が好きである。下手したら「別にそれBLじゃなくていいんじゃないか…?」と思われることが多く、この辺りの話を過去、仲の良かった人に話して苦い思い出があるので今回は横に置いておく。
ここにはまだ載せていないのだけれど、Zを主体とした二次創作を今後どういう風に発表していこうか思案中。
一本漫画を描いてみようかな。