優しい世界を創りたいというエゴ

mooriii
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先日コロナにかかり喉頭炎を併発し、唾も飲み込めない状態になってしまい、救急車を呼んだり(結局病院が見つからず申し訳ないけど自分で病院探してください😭と頼まれて自分の足で病院に行った)、脱水で2回点滴を打ったりしてました。

かなり大げさなんですが、割と死を身近に感じて「あ〜自分もここまでか〜」と思ってしまうほどでした。

そんな体験をして、自分が死ぬまでに何をやりたいのかっていうのがすごい鮮明になった気がします。

もともと繊細な自分は「優しい人で溢れた世界を創りたい」っていう思いが強く、「世界中のみんなが他人のキモチを想像して、優しい人で溢れた世界だったらいいのにな〜」って思いながら日々生活しています。

そんな世界を実現するために自分でできることは少しばかりしているつもりです。

ただ、SNSとかを見ていると誰しもが優しい世界を求めているわけではないという現実を叩きつけられます。

直近でいうと某た◯かな氏の発言を見てそう思いました。

他人のキモチを考えるという僕の正義では、某氏の発言は全く理解できませんが、彼女には彼女なりの正義や考え方があるのだと理解して絶望しました。(僕と考え方が全く違うというだけであり、彼女が悪だと主張したいわけではありません。どちらも一人の人間の意見でしかないです。)

SNSを見てると本当にいろんな考え方を持っている人がいて、面白いくらい理解ができないことがあります。

自分が思っている善が他人にとっては悪だったり、他人が善だと思っていることが自分にとっては究極に悪だったり。

それがまた素敵で面白いところでもあるんですが。(最近は色んな人の発信を否定も同意もせずに背景を想像しながら、様々な人格になりきろうとする自分がいます。)

人には人の考え方があり、自分が創り上げたい世界は自分のエゴでしか無いという現実を叩きつけられる、そんな1日でした。

そんなことを考えながら今日も僕は自分のエゴに向かって一歩ずつ進んでいます。