あたらしい書き物を始める

moqmoq
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どうしてSNSを続けているんだろう、とたまにわからなくなる。わたしが使っているのはXだけど、誰がいなくなったのかわからないくらいのフォロワー数になってからは、わけがわかっていたかどうか定かじゃないなと思う。ともすれば向こう側に生身の人間がいることを忘れてしまって、現実の会話じゃ見せないような不誠実な態度をとってしまったりしている気がする。

そこがSNSの特徴でもあるとは思う。現実で経験するような生々しいにんげんの感触が希薄だから、逃避癖と、そのくせ人恋しい相反感情をそれぞれ尊重してくれる。

わたしはあんまりそこが好きになれない。他人ってめんどくさいものだ。人といると楽しい。でも楽しいばかりじゃない。会いたいけど予定を詰めるのは面倒だったり、一人じゃ起こらない間の悪さにドキドキしたりする。そういうものだ。わたしは疑い深いから、ただただ楽しい時間をずっと過ごしていると不安になってくる。無意識になにか見たくないものを見ないようにしていないだろうか? 恵まれた状況に置かれていると、相手の立場に立って見つめることがなおざりになってしまうことが怖い。

いつだって、人と関わるんだったら真剣に接したいと思っている。いつもできてるわけじゃないから、なおのこと切に思う。

でも、一番これではいけないと思っているのは、SNSで言いたいことが言えなくなっていること。無意識に人の目を気にしているのか、そこでわたしが言ったことはだいたい気に入らない。誰かに向けてなにかを言いたいわけじゃなくて、ただ言葉をそこに浮かべていたいだけなんだけど。その一片が誰かの目に留まることがあったら、それはとても光栄なことだけど、手に負える範疇のことがらではないし、取り扱おうとするのもおこがましい。

だから、思ってはいるけど、ふだんは言ってないことをここでは言えたらいいな。無知のヴェールに包まれたつもりで、自由に。

この話もそう。SNSの話をするのはちょっと恥ずかしい。だからここで。

ちょっともう一息に書くのが疲れてきたから、短いけれど終ろうと思います。

ここまで読んでくれてありがとう。

ここまで書いてくれてありがとう。

@moqmoq
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