引越し初日に行くところではない

morgue
·

はじめて一緒に行ったのはシーだった。その当時はまだ付き合ってはいない。けどずっと2人で一緒に遊んでいる微妙なラインの時で、多分2人ともそんな気はしてたんだけどずっと友人だった分気恥ずかしくて言葉にすることはできなかった。覚えているのは、小雨が降る中食べたミートボール入りのパスタと、次はUSJに遊びに行こうと約束したことくらい。

コロナ禍にランドに行ったら、あまりの快適さに驚きながら「これはこの時期にシーにも行くべきでは!?」と騒いでベンチで座って次の予約を画策していた。

ミラコスタに泊まったときは、エントランスのモニュメントが凄すぎて次は車で来てこの景色を見たいねと言った。

美女と野獣のアトラクションに初めて乗ったときは、エンディングでお皿に乗ってゆらゆらしながら、こんな夢みたいなひとときがこの世にはあるのだなあと感動するばかりだった。

目の前で結婚ゴンドラに出くわしたとき。何故か道ゆく人々に褒められまくったダッフィーのポップコーンバケット。夕暮れのアラジンのエリアの写真。舞浜駅からシーまで歩いた夏の朝。雷雨で外に出れずタワテラの出口でギュウギュウにされた日。ディズニーは振り返る思い出が増えすぎて、最近はいつ行ったときの出来事か思い出せなくなってきた。

義実家家族とシーに行った日、とにかく私は両親と義理の兄にとことん楽しんでもらおうと張り切っていた。ファストパス、DPA、レストラン予約、ショー抽選、歩くコース、時間配分、全てに目を光らせて、昼過ぎの空き時間にお土産物購入と言う名の束の間の自由時間が訪れた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。

「つかれた…」

「そうだね。お土産買わないの?」

「アプリで買ったからいい」

「そっか。俺もアプリで買お」

2人であてもなくフラつく中で、ふと向こう岸を見ると、ソアリンの脇で桜が咲いてるのが見えた。もうこれ以上歩きたくない筈なのに、急にあの花が本物なのか知りたくなって、「あの木の写真を撮りたい」と私は歩き出していた。

後から調べたらそれは河津桜という品種で、ずいぶん早くから開花するものらしい。まだ私はダウンを着てるのにその木はすっかり満開で、空の青にピンクがよく映えていた。

夢中になって写真を撮っていたら、あんなに疲れてたのに、気がついたらすっかり元気になって穏やかに会話ができるようになっている自分がいた。

友達と一緒に笑っているとき。家族とダラダラしているとき。気の置けない同僚と食事に行ったとき。落ち着くシーンは星の数ほどあったけど、ここ最近の私はこの人と一緒にいるときが一番落ち着いている。付き合ってる頃はそうでもなかった筈なのに。

結婚してから数年経って、何もなしに桜を見上げた瞬間、ようやく私は結婚したんだなーと強く実感した。今まで結婚というものに全くピンときてなかったのに、なんででしょうね。

@morgue
できるだけ、とても小さくて些細な、楽しかったこととか嬉しかったことを書くように努めます。未来の私とこれを読んでくれた人が、読み返すことで自分の幸せを振り返れるようにしたいので