手伝いましょうか、と祥子がいう。
あなたはキッチンにいる。
長考。
あなたは、そつなく料理をこなすあなた自身のすがたをイメージする。それは包丁を握ると次第に雲のように遠のいてゆく。あなたは要領がいい。あなたは、なんでも器用にできる。しかし、できないことが急にできるようになったりもしない。ふたつのまっしろなお皿は買ったきり食器棚で重なり合っている。
だからあなたは「キッチン覗くの禁止〜」と、いって誤魔化す。ふっ、と祥子の口角が微かに上がる。あ、笑った、とあなたはおもう。
しかしけっきょく祥子は見かねてキッチンに戻ってくる。
「やはりわたくしが……」
祥子は慣れた手つきであなたが無尽蔵に買い込んだ食材を並べ替えてゆく。必要なものはまな板の上へ。必要でないものは冷蔵庫のなかへ。
「何を作るつもりだったんですの」
「あはは、祥子はなんだと思う?」
「まったくあなたは」
あなたはじぶんのエプロンを祥子にかけ替える。あなたの両手が祥子の腰まわりを通ってゆくとき、彼女が両うでを浮かせてそれを受け入れる仕草をみせたことを、あなたはあたたかいとおもう。
「じゃあ祥子が先生ね」と、あなたはいう。
祥子は息を吐き、腕まくりをする。
なんでも器用にできる。それは、あなたも祥子もおんなじだ。いまのあなたにできないことが、いまの祥子にはできる。なぜか? あなたは祥子の生い立ちに想いを巡らせたりはしない。それはいますべきことではないとあなたはおもっている。
根菜は水から茹でること。はあい、先生。
あなたはみりんと料理酒の違いを知る。
*
「何も聞きませんのね」
遅い朝食のあと、ふたりで食器を洗っていたら、祥子がいった。
「食洗機欲しくない?」と、あなたはこたえた。
あなたは何も聞かない。
ふたつの白いお皿を立てかける祥子の横顔を盗み見て、少しは明るくなったかな、とあなたはおもう。
昨夜の祥子は見ていられなかった。彼女以外の誰も彼もがそれに気づいていた。打ち上げをすぐに抜け出し帰ろうとする彼女の憔悴しきった顔を見たとき、あなたは反射的に立ち上がり、彼女を追った。なんであたしが? あなたははんぶん後悔した。もうはんぶんの力で、祥子の腕を掴んだ。
無理やり押し込んだタクシーのなかで、あなたたちは一言も喋らない。家に連れ込み、祥子を浴室へ押し込んだあと、シャワーの音が聞こえはじめてあなたははじめてひと息をつく。
「祥子は頑張りすぎだよね」
あなたのこえは流れる水の音に紛れる。
*
朝食の片付けを終え、のんびり身支度を済ませたころにはお昼になっている。深々とあたまを下げる祥子に、いいって、とあなたはいう。
「駅まで送ろっか」
「あなた、暇ですの?」
外は晴れていた。風がなかった。最寄り駅はすぐに見えてくる。
「しっかりしてよね」あなたはいう。「残りの人生、祥子にはんぶんあげたんだから」
「半分?」祥子が目を細める。
「そう、はんぶん」
あなたは自販機の前で立ち止まる。ふたつ買うか迷ってけっきょく、あたたかいお茶をひとつ買う。
「あとではんぶん貰う〜」
あなたはそれを押しつける。祥子はそれを断れない。あなたはあなたの行為がどうすれば彼女に届くのかをだんだん理解しはじめている。ふたりの朝食やあたたかいペットボトル、そうした彼女の核心におそらくなんら踏み込むことのできないとりとめのない善意を、あなたは祥子に許してほしいとおもっている。