1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。
秋なのか、夏なのか。気温変化が激しくて混乱する今日この頃です。エアコンの風って冷たすぎて落ち着かない気持ちになります。早く一日中エアコンなしで過ごせる気候になってほしいなと思います。
週刊読書日記(9/21-9/27)
今週は3冊読んだ。そのうち2冊は再読であるため、割愛する。その他は、以下に紹介する本と通勤中に読んでいるエリアーデの『世界宗教史Ⅰ』ぐらいしか読めていない。あえて読まなかったと言った方がいいかもしれない。なぜなら、秋季イタリア語検定が待ち受けているからである。休日の中心は勉強であった。
とはいえ、映画を見たり図書館に行ったり、それなりに遊んでもいるので安心してほしい。実を言うと勉強に本腰を入れ始めたのは、週の後半になってからである。
『人間の建設』の話
よく見ているYoutubeチャンネル「本と勉強137号室」で紹介されていたことがきっかけになり、読んだ本。たまたま夫が持っていたからそっと借りた。
一言で言うと、雑談をまとめた本である。ただ、雑談をしている者が博識な学者と評論家であるがゆえに、談義のような様相になっている。テーマは特にないらしいのだが、数学と文学・芸術の評論という全く違う観点から様々な物事について語っているのが面白い。
数学の言語化は難しい、と思っていたのだが、彼の場合数学は言語化から始まるらしい。言語を数字や記号に置き換えていく。思考の始まりは文章と同じだとわかって少しほっとした。
また、「感情抜きでは、学問といえども成立しえない」という言葉を読んで、学問に感情があるのかと不思議に思った。理屈ではなく、感情を土台にする学問、といえば文学を対象にする研究が思い浮かんだ。作家が言葉に込めた思いを汲み取る学問。人為的なものであれば感情は常に存在している。けれども、数学の感情とは? よく、「美しい」とか「きれい」とか言っているようなもののことだろうか。まだ、いまいちつかめていない概念である。
反対に、言葉で考える――評論については、ぼんやりとだが、つかめるものがあった。たとえば以下の部分。
(前略)考えるというより言葉を探していると言ったほうがいいのです。ある言葉がヒョッと浮かぶでしょう。そうすると言葉には力がありまして、それがまた言葉を生むんです。
――岡潔・小林秀雄『人間の建設』p.123
私が何かしらの文章を考えるときの過程によく似ている。この言葉を使いたい、と思って書いているわけではなく、この場面に合う言葉はこれだな、と瞬時に判断して選択している。物語の雰囲気をつくる言葉選びをする、という感じだろうか。たとえばこのブログでは、できるだけやさしい雰囲気にしたくてところどころひらがなを使っていたり、この本のように学術に関する話題の場合では熟語などの固い言葉を選んでいたり、というふうに。言葉を選ぶ過程で決まった理屈はない。答えもない。だから本当に、”私の勘”が頼りなのだ。その勘が培われるのが、読書中だろうと思う。
数学も、触れる回数を増やすことで、「美しい式」がわかってくるのだろうか。短い一生では、その域に達することはできそうにないけれど、長年謎だった数学者の思考過程についてはなんとなく、つかめた気がしてうれしい。
岡潔・小林秀雄『人間の建設』新潮社(2010)