1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。
夜が早く訪れ、夜明けが遅くなってくる時期になりました。やがてやってくる冬の気配を感じながら、束の間の秋の日を楽しんでいます。
週間読書日記(11/10-11/22)
先週は考えることが多すぎて頭がパンクしてしまい、若干余裕のない状態が続いた。複合的な原因ではあったのだが、頭の中を占める問題をひとつずつ仮の着地点に持っていくことでなんとか事なきを得た。
そんなとき、通勤時間の読書が支えの1つになった。ここ半年ほどは学術系の本を読むことが多かったものの、たまたまこの時期は小説を読んでいたのがよかったらしい。フィクションの世界の中では、抱えた問題を忘れることができた。早めに対処できたのは、きっと小説のおかげだと思う。
ということで、先週は2冊、今週は2冊の本を読み終えた。2週間の間に読み終えた、小説の話をしよう。
『ロボットとわたしの不思議な旅』の話
この本は、いつだったか帰省した際に母が持って帰るようすすめてくれたものだ。そのときは持ち帰らなかったけれど、後日送られてきた。私がSF好きになった理由の半分は母の影響によるものであろうと思う。コニー・ウィリスやホーガン、『夏への扉』は実家にあったから読んだのだった。しばらく積読コーナーに置いていたこの本を読んだきっかけは、開いてすぐ「ロボットはどの神の管轄にあたるか」という問題について書かれていたからだ。もちろん架空の神なのだが、"造られた意思のある機械"について議論されているのがとても興味深かった。現代ではどうだろうか。ロボットも神の被造物にあたるのだろうか。
物語は、一人の僧が苦悩するところからはじまる。仕事には満足しているのに、何かが足りないと感じる。そうだ、ここを出て様々な場所で奉仕しよう、と思いつく。僧は喫茶を通して人々の心を和らげ、癒やしの時間を与えることで世界に奉仕する。癒し手とは、他人が主体となる仕事だ。自分がやりたいことを成し遂げたい、という思いで分け入った人が立ち入らない山道に"ロボット"はいた。この物語の"ロボット"は少し特殊で、人間たちとは離れて暮らすことを選んでいる。だが、出会った"ロボット"は人間のことを知りたいという。
人間とロボット、自然と人間、自然とロボット。この三つ巴が織りなす関係性も興味深いが、"恵まれているのに何かが足りない"と思ってしまう現象については心当たりがありすぎて、(月並みな表現ではあるが)ページをめくる手が止まらなかった。
「自分では答えることができない質問をしてまわるなんて、どうしてできるでしょう?」
この泣きごとに耳を傾けているうちに、デックスの顔にゆっくりと、皮肉な、少しもおもしろみもない笑みが浮かんだ。「わたし自身が幸せだと思えないのに、どうしてみんなに大丈夫って言えると思う?」
――ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』「はにかみ屋の樹冠への祈り」p.333
この一節を読み返すと、ドラマ『ちょっとだけエスパー』に出てきた「自分を救うのが一番難しい」という言葉を思い出す。幸せを追求するということは、自分のことを理解する努力が必要だ。人のために動きすぎるとどうしても自分のことを忘れてしまう。余裕がない時期に読んで、自分のことを思い出すきっかけになった。自分優先、と言葉にしてしまえば簡単だけれど、実行することがなかなかできないのは、不思議なことだと思う。
ベッキー・チェンバーズ 訳/細美遙子『ロボットとわたしの不思議な旅』東京創元社/創元SF文庫(2024)
ロボットとわたしの不思議な旅 - ベッキー・チェンバーズ/細美遙子 訳|東京創元社
『十一月の扉』の話
この本ははるか昔、小学生だった私に母が贈ってくれた本だ(たぶん。記憶が確かであれば)。十一月だ、と思ったとき、ふと目に入って読み返すことにした。
その頃の私は下宿ものが好きで、『妖怪アパートの幽雅な日常』や『カラクリ荘の異人たち』シリーズなどを読んでいたから、好きだろうと思ったのだろう。読んだという記憶はあるのだが、読み返してみると具体的なストーリーはまったく覚えていなかった。中学生で下宿生活はなかなかやるな、というところからはじまり、30~60歳代の女性が生き生きとしている描写が多くて嬉しくなった。主人公の気持ちと、十一月荘に住む中年女性の気持ち、どちらの気持ちにも寄り添えるようになっている自分がいて興味深かった。
主人公爽子は、一冊のノートを手に入れたことで物語を書こうと思い立つ。日本の話なのだが、どこか英国風なのは、パンケーキやクッキーが出てくるからだろうか。英語教室で物語を読み進めているという場面では、羨ましいという気持ちが浮上した。
私はずっと英語が苦手だった。たぶん、中学のときに英検対策や試験のための暗記をさせられた記憶が残っていたからだろう。英語と聞くと、興味がないことをしなければならない苦しみの感情を思い出してしまう。そして、英会話形式のテキストが多いことも苦手意識を増幅させる一因になっている。だから、英語で物語を読むことに憧れがあるのかもしれない。
今の私でも、楽しそうと思える十一月荘の暮らしは、やがて終わりを迎える。この物語のいいところは、楽しさの終わりを受け入れなければならない場面を描かれていることだ。
悲しみを、力まかせに掻き消すのではなく、悲しみの種を一つ一つ拾い集め、一つ一つのために泣き続けていたら、泣く材料はついに尽きた。
――高楼方子『十一月の扉』p.216
悲しみの場面をしっかり描いてくれるところがとても好きだ。いろんな感情をごちゃ混ぜにするのではなく、一つ一つほぐしてしっかりと悲しみに向き合うことを教えてくれた。きっと何度も読み返す本になるだろう。作者の他の作品も読んでみたいと強く思った。
高楼方子『十一月の扉』新潮社/新潮文庫(2006)
*新潮文庫版が絶版になっているようで……。新しく出ている福音館書店版、青い鳥文庫版は挿絵が入っていてかわいい。