1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。
最近は本当に暑いですね。シオカラトンボが優雅に飛んでいた一瞬は幻だったのでしょうか。
週刊読書日記(8/16-8/23)
スクーリングの合間に本を読んでいる。休憩時間に少し、待機時間に少し。
家にいても結構すきまの時間はある。
たとえば浴槽にお湯がたまるまでとか、冷凍ご飯をチンする間とか。
そういうときに、ちびりちびりと本を読む。
そんなこんなで今週は、5冊の本を読み終えた。前に読み始めていた本が3冊。今週読み始めた本が2冊。本の話をしている本が多くて楽しかった。読書がしたくなる1冊を挟むと、他の本ももりもりと読み進められる気がする。
『ドライブイン・真夜中』の話
すごくよかったな、と思ったのが『ドライブイン・真夜中』。作者の高山羽根子さんは、芥川賞をとった『首里の馬』を読んだことをきっかけに、ちょくちょく読んでいる作家の一人だ。少し未来の「この国」で「セイカツシャ」として暮らしている別の国から来た「わたし」。移民の暮らし方が「ヒョウゲンシャ(創造的活動で社会に奉仕する存在)」と「セイカツシャ(低賃金だが自由(「この国」の人に比べたら限定的ではあるが)に職を選べて好きなところに住める)」にわかれている、というシステムも、24時間営業のファミレスに店員がいるのはめずらしくなっているということも、なんだか妙にリアルで、読んでいる間背筋がぞわぞわするような感覚を覚えた。『虐殺器官』に生体認証でお会計できるセルフレジが出てきたときと似たような感覚だった。難民や移民のコミュニティなど、他にも現実とリンクするような部分が出てくるが、物語自体は突飛で、フィクションをフィクションたらしめている。
高山さんの作品は、リアルとフィクションの塩梅が絶妙だと思っている。教訓じみてはいないのに、どこかはっとさせられる。けれどそれは直接的なメッセージではないから、押しつけがましくはない。考えたい人が考えられる。こういうバランスの上に成り立っている作品のことを、私は”純文学”と呼んでいる。作品中の世界はけっして現実ではない。現実と少し似たところのある、物語であるということを忘れさせない作品。
最後に、陽だまりのような個所を紹介しよう。
移った先で命の危険を感じながら、それでもまったく知らない場所で暮らそうと決意した人たちが、その先でどんなに辛い目にあったとしても、この面接官の故郷であるならば、どこかにかならず希望があるのだと思ってもらえるように。
高山羽根子『ドライブイン・真夜中(100min.NOVELLA)』(U-NEXT)2023
どこか灰色の世界で、希望を示すこの文章が好きだ。たとえ「この国」目線のエゴだったとしても、そう願う人がいるというだけでほんの少し希望が持てるような気がする。私もそんな風でありたいと願うこともエゴだろうけれど、視線はそらさないでいたい。
――高山羽根子『ドライブイン・真夜中(100min.NOVELLA)』(U-NEXT)2023
Amazon.co.jp: ドライブイン・真夜中 (100min.NOVELLA) : 高山 羽根子: 本
『ぜんぶ本の話』の話
池澤春菜さんの読書スタイルが好きで、『SFのSは、ステキのS』や『乙女の読書道』を読んだことがある。今回は、池澤夏樹さんとの対談形式で、ずっと本の話をしている、そんな本である。読みながらわくわくすると同時に、これはすごく恵まれている人の話だな、とも感じた。たとえば私がそうなのだが、家に天井まである本棚があったり、そこらへんに誰かの読みかけの本が転がっていたりすることはあまりないことなのだと、たくさんの人に会う中で知った。図書館に連れて行ってもらうことも、プレゼントとして本が贈られることも、本の話ができることも、すべて「本が好きな大人」が身近にいることが前提だ。そういう環境で育った(私のような)人にとっては、この本を読むと懐かしい気持ちになるだろう。それ以外の人にとっては、うらやましいくらい恵まれた環境に違いないだろうな、と思った。読書を趣味にできるのは、子どもの頃の環境が大きく影響していると私は思っている。本を読んでいる人のコミュニティに入るには、本を読んでいることが前提になっているような気がするからだ。
本を読んだことのない人が本を読む記事が話題になっていたが、そもそも大人が本を読み始めるにあたっての入門書があまりない。詳しくない人向けの、本を選ぶための本が不足している状態にあると思う。「大人になったら自分で読みたい本を選んでね」と言わんばかりに、類似の本や大量の新刊が並べられる書店に放り込まれたら、手掛かりになるのは「話題」しかないだろう。
では、読書をしている人はどうやって読む本を決めているのか。私の場合は、出版社のXアカウントから新刊情報をチェックしたり、好きな作家がおすすめしている本を見たり、書店でパラパラと開いて読むか否かを決めたりする。文芸誌や新聞に載っている書評を読んだり、読んでいる本の巻末広告からピックアップしたりもする。つまり、現時点で本の情報を手に入れるにはある程度本を読んであたりをつけなければならないシステムになっているのだ。これでは、本を読む人はどんどん深く潜れるけれど、浅瀬から動けない人も出てきてしまう。良くも悪くも、本を売る人は本が好きな人が多い。だからなかなか、本を読まない人に意識が向かないのだと思う。
本をたくさん読んでいて、さらにどの本がどのあたりの学問体系に位置しているのか、難易度はどれくらいかを把握しているという大人は、これからどんどん減っていくだろう。本の案内人たる人が身近にいないまま、読書好きな人が増える、なんてことはきっとない。「読書をしなさい」という言葉だけが植え付けられて、苦手意識を持つ人もきっといる。今、私は読書をさせたい人と読書が苦手な人のちょうど合間にいる。合間の人だからできることを、少しずつやっていくしかないだろうな、と日々思いながら生きている。
――池澤夏樹、池澤春菜『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版)2020