今日も私は本を読む vol.9

守宮泉
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公開:2025/11/2

1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。

今回も、2週間分となっています。

秋を通り越し、朝晩は冬のごとく冷える日もありまして、風邪っぽいようなふわふわした体調のまま生活しています。皆様も気温差には気をつけてお過ごしください。

週間読書日記(10/20ー10/31)

次は1週間後、などと書いていたのにまた2週間空いている。先週末はなんだかんだバタバタしていて書く余裕がなかった。何をしていたかというと、通っていた大学を訪問したり、服を買いに行っていたり、である。

前回、在野研究についてちらっと書いたことについて、本当にささやかな気持ちで指導してくれた教授に相談してみた。あっさり、何か書いてみればいい、というようなことを言われて、「あ、いいんだ」と思った。別にどこかに所属しなくても、研究はしてもいい。本を読んで知っていた事柄が、急に現実味を帯びてきた。だが、同時に重たい事実ものしかかる。創作活動にたとえるとわかりやすいだろう。自分で好きなときに活動するというのは、締切を自ら定めなければ永遠に着手しないまま終わる可能性があるということだ。自制心をしっかり保たねば、完成に向かうことは難しい。念入りな計画と、習慣づけが大事だな、とぼんやり思った。「大学院に入ってから」などという言い訳は通用しなくなった今、逃げ道はない。まあ、訪問した目的の大半は「逃げ道をなくすこと」だったので覚悟はしていた。だが、ちょっと怖じ気づく気持ちもある。ほんの少しの焦燥感を胸に、この1週間を過ごしていた。

服については、いろいろ迷ってはいたものの、無事に黒のコートを手に入れることができた。私にとって服は「スイッチ」なのだな、と気づいてからは迷いがなくなった。私が着たいと思う服を着るのが一番だ。だから、生まれて初めて革ジャンなるものを手に入れた。試着の時はドキドキしたが、意外としっくり馴染んだ。いわゆる「ライダース」風ではなかったからか。夫に「革ジャン似合いそう」と言われたときは「まさかそんなことはない」と否定していたのが噓のようだ。自分の価値観だけで決めつけてはいけないかもしれない、と思った出来事でもある。今まで否定してきた言葉がよみがえってきて、すべての人に謝りたくなった。まずは受け止めてみてから考えても遅くはないかもしれないな。

先々週読み終えた本は2冊。先週は1冊。読んではいたものの、あちこち興味が移ってしまって、読みかけの本が3冊ほど机の上にある状態だ。注意力散漫な期間なのかもしれない。


『ファスト教養』の話

読みたいなと思いつつ読んでいなかった本である。この本で取り上げられている「ファスト教養」は、動画やビジネス書を通して、ビジネスのための教養のことを指す。その事柄についての興味関心はなく、会話の手札を増やすような感覚で教養を取り入れる人たちについて分析されている。

私は動画で学ぶのは苦手なのだが、夫は学習の導入としてよく見ているため、なんとなく想像はついた。この本であげられている人たちは、導入としてではなく、動画だけで学習をストップさせてしまうのだという。個人的にはより深く知りたいと思わないのだろうか、と思うのだが。あくまで目的はビジネスであるため、広く浅く知識を取り入れたがる、らしい。知らない感覚ではあるが、背景にあるものを知ると、納得はできる。昨今書店に並んでいる本を見ても、そういう需要はかなりあるのだろう。

絶え間ない自己研鑽が必要な時代において、「学ばなきゃ」という焦燥感に駆られて学ぶ人が増えたのではないか、と考察する著者の考えには頷けるものがある。働いている人が学ぶ姿や「大人の学び」を強調する本が本当に増えていると感じているからだ。たぶん、コロナウイルスの流行が始まってからのことのような気がする。移動できなくなったけれど何かやらないといけない、その焦りが、学習への熱に変わったのではないだろうか。資格を取ったり、話題作りのために昔の小説や映画について調べたり。学習のきっかけにするにはいいかもしれないが、きっとほとんどの人は「導入」の部分をつまみ食いしていくばかりで深みには入らないのだろう。それは、自分が好きで学びたいと思って学んでいるわけではないことが起因しているかもしれない。なんとなく、受験勉強に似ていると思った。

私は試験のための勉強が苦手だ。一応勉強はするものの、終わったらすべての知識がどこかに去ってしまう。自分が好きな事柄(たとえば幕末の志士とか、新選組とか)を学んだときの方が長く覚えている。忘れていたとしても、興味関心が戻ってくるや否や、そのときの情熱と共に思い出すこともある。知識をつけるための勉強は、勉強という事柄を通して覚えるが、娯楽の学習は、シチュエーションやエピソードを通して覚えるから、ということもあるかもしれない。「なんか知らんけど知ってる」みたいな知識はたいてい何気なく本を読んでいて知った事柄が多い。日本史の流れを覚えていられるのは、数々の時代小説やゲームのおかげである。「勉強した」という時期は、「がんばった」「苦労した」記憶ばかり強くて肝心の内容はさっぱり覚えていないことが多い。

気長な道のりにはなるが、興味の赴くまま学んだり研究したりする方が私の性には合っていると思う。「ファスト教養」を求める人とは真逆な立場を取っているから、今までは否定の気持ちが強かった。しかし、この本を読んで目的や感情、社会の在り方を知ることで、そういう人が出てくるのはその人だけの問題ではないのかもしれない、と思い直した。私も疲れているときは、漫画を読んだり動画を見たり、ぼーっと脳をまどろみの状態にしてしまうことがある。そんな疲れを常に抱えて、ゆっくりものごとを考える余裕がない人は、私の想像よりずっと多く存在するのだろう。悲しいことだな、と思うと同時に、そういう人が自分なりの興味に辿り着ける社会になるといいなと思った。

レジ―『ファスト教養―10分で答えが欲しい人たち』集英社新書(2022)

ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち – 集英社新書

@morimiya
本をよく読みます。多言語世界で生きていきたい人です。 Bluesky bsky.app/profile/moriizu.bsky.social