今日も私は本を読む vol.10

守宮泉
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公開:2025/11/10

1週間、本を読みながら生活している守宮の様子をお届けします。

木枯らしが吹きつけ、朝晩は冬のような寒さになりました。私は喉鼻に影響が出ていましたが、ようやく元気になりました。

週間読書日記(11/3-11/8)

今週は2冊(4冊?)の本を読み終えた。「?」を付け加えたのは、服についての本を2冊ほど読んだような気がするが、読んだと言えるのかがよくわからないからである。

大体同じようなことが書いてあるので、確認するために読んでいるような感じだ。白・黒などのベースになる服が重要であること、コーディネイトは引き算することが大切であること。そんなこと当たり前だろう、と思っていたけれど、自分を振り返ってみれば案外できていなくて驚く。だから、確認のためにたまに読み返しているのである。

今回は前回に引き続き、服の話からしようと思う。


毎日着る服についての話

前回、私にとっての服は"スイッチ"であると書いた。仕事をする、遊びに行く、休日を楽しむなど、今日何に取り組むかによって変えると調子がいいと気づいた。部屋着っぽいものを着ていると一日中ごろごろしてしまうのだから間違いない。その服を着た時点で"ごろごろする"という行動がインプットされるのだろう。不思議なものである。つまり、服で行動指針を定められるということでもある。

今までの私は「オフィスカジュアルが好きだし、似合うし、こういう服の系統でいこう」と考え、外着はきっちりしたものの方がいいと思い込んでいた。しかし、仕事を始めてからというもの、仕事着は仕事の時に着るようになった(当たり前のことだが)。だから、オフィスカジュアル欲が減少し、「遊び心のある服が着たい」という欲求が芽生えてきた。そこで、遊び心のある服の中で着たいものは何ぞや問題が発生したのである。

遊びの服と言えば、カラフルな彩り、奇抜なデザイン、フリルたっぷりフェミニン、ゆるくて心地いいなど、人によって様々だろう。私が取り入れられそうなのは、彩りとゆるさだった。そして似合う色問題、似合う形問題へと派生していく。

色については、母に昔「アースカラーもはっきりした色も似合っていいね」と言われた記憶と他人に褒められた服を思い出して、秋冬の系統ではないかと考えている。萌黄色のジャケットやくすんだモスグリーンのコートが合う他、ネイビーや黒白が落ち着くし似合っている(と思う)。ミストグリーンのシャツにインディゴくらいの青カーディガンという組み合わせもまあまあいけるのだ。反対に淡い色味は本当に苦手だ。春色を身につけたくてパステルイエローの服を手に入れたのはいいものの、あまりに似合わなくて処分した。春先のアパレルショップが苦手なのは、着られない服が多くて悲しくなるからだろう。(そういえば、萌黄色のジャケットを買ったのは春だった。小花のスカートがほしくて見ていたら店員さんが合わせてくれたのだった。さすがプロの見立てである)話が長くなってしまったが、色味については事前に組み合わせを考えておき、季節ごとに変えていくことにした。たとえば、中秋~晩秋は黄と緑と紺(黒)とブラウン、冬は黒を中心に灰色や緑、ワインレッドを組み合わせている。(余談だが、私は秋冬の色味が本当に好きでたまらない。似合う服が多いから楽しいのかもしれない。)

似合う形についてはまたの機会にするとして、服に興味を持ったことによる世界の見方の変化について書き留めておく。私は人間が好きな方である。だが、個々人にはあまり興味を持てず、一定の距離を保っていた。最近はと言えば、他人の服装にも目が向いて、「その服素敵ですね」と言う機会が増えた。服を通して人を見ることがこんなに楽しいとは思ってもみなかったから、毎日が新鮮である。電車に乗っていても、「この人はこういう色が似合いそう」「この人は今着てる服がすごく似合っている」なんて考えていたらあっという間に時間が経っている。"人々"というくくりではなく、"一人一人"として人間を見ることができるようになった。私としてはいい変化だと感じている。


『言語哲学がはじまる』の話

次は言語哲学についての話をしよう。イタリア語を学び始めてから、言葉の使い方の違いに面白みを感じていた。言語学、とは少し違うかもしれないと思っていたところに、この本がヒントをくれた。言語を使う意識、という点では言語哲学に近いのかもしれない。もう少し近づければ、言語文化人類学になるのかもしれないけれど。

至極単純な文であっても、その文を理解するために何が必要なのかははっきりとしていない。複雑に要素が混じり合っていて、複合的に見なければ文章は理解できないとも言える。慣用表現などはその文化を知らなければ理解することは難しい。一問一答式ではないからこそ、私は言葉に惹かれるのかもしれない。

今のところ、コミュニケーションの道具として言語を使っているのは人間しかいない。だからこそ、言語について考えることは人間を知ることにもつながるのではないか、と考えている。

言葉について研究を進める以上、言語哲学は避けて通れない道のような気がする。いずれ挑戦してみたいところである。

野矢茂樹『言語哲学がはじまる』岩波新書(2023)

言語哲学がはじまる/野矢 茂樹|岩波新書 - 岩波書店

@morimiya
本をよく読みます。多言語世界で生きていきたい人です。 Bluesky bsky.app/profile/moriizu.bsky.social